6Feb

今回は、前回の「決めつけ依存」と取り上げたAC JAPAN広告の、もう一つの例です。
▼前編をまだご覧になっていない方はこちらから
「あなたのため」という呪縛
今回取り上げるのは、母親が男の子に言いきかせる上述の言葉です。CMでは野球をやりたい少年を、勉強をしつづけるように伝える場面として映っています。
この場合、実際には「あなたのため」という母親のたしなめだけでは、子どもの心が荒むことにはならないでしょう。なぜなら「あなたのため」と子どものことを思っているつもりでも、この場合は子供が勉強に興味がなければ、反対したり対抗する隙間が生まれてくるからです。
従って母親から「あなたのためよ」といわれて子どもが抗することが出来ない場合は、条件が必要です。その条件とは、家族関係という閉鎖的に逃げられない空間の中だからこそ生じる「罪悪感」が絡んでいるときです。
親子間に生まれる罪悪感には実体がない
この時子供に生まれる「罪悪感」とは、子ども自身の言動に基づいて生じるものではありません。「野球をしたいのを我慢して勉強をする」場面ですから、特に子供は罪に問われることをしているわけではありません。よってここにうまれる罪悪感は、いわゆる「申し訳なさ」というものです。
この「申し訳なさ」の解釈は厄介で、だれでも引っ張られるだろうと思われる性質が二つあると思います。その一つは「申し訳なさ」は、時に日本では美徳として映ることがあることです。戸惑っている本人を、ともすれば称える文化があります。
確かに「感謝」というプラスの心映えはこころの拡がりに繋がるでしょう。しかし子供が動いていない中で、「申し訳ない」というマイナスのイメージにより相手を優位な立場に立たせることを誉れとすることは、自罰や自虐を雅とする流れに繋がります。しかし自罰や自虐は本来やりたいことではないので、今度は別の人にこの自罰や自虐をすることを求めようとしてバランスを取ろうとします。
これが例えば児童虐待ハラスメントというものが、世代伝達していく流れです。釈然感も納得感もないまま無理矢理飲み込んだ事実とその解釈は、加害者に回ることによりその思いを取り返そうとするのは、人間関係上の衝動として通常みられます。以前流行した「倍返し」もこの流れです。

「申し訳なさ」に実体はない
そしてもう一つは「申し訳なさ」とはあくまで相対的なものであることです。
「申し訳なさ」とは、人間関係の中での産物です。実際には母親が「あなたのためよ」といっている中で、母親が子どものために犠牲を負っている様子を、子どもに夢中になることで子供に見せているということが背景にあります。
子どもの欲求を確認していない中で、例えば「○○まで勉強が大事」と、母親の立ち位置の事情で承諾ラインを作り、母親も子供にエネルギーを注いでいる様子が並行して生じている場合に、子どもは申し訳なさがでます。
さらに子どもにきょうだいがいて同じ条件での比較対象とされれば、なおさらこの申し訳ない気持ちには、さらされやすくなるでしょう。もちろん実際には、親側の背景が絡んだ競争意識の投影です。
加害者を意識させて罪悪感を生み出す
話を元に戻すと、「あなたのためよ」と言っている強い大人が、子どものために犠牲を払っていることを陰に陽に示されると、改めて子どもは「申し訳なさ」からの「罪悪感」が優位となり、人生どころか言動すら選ぶことが出来なくなります。選択する自由を無意識に放棄させる現象が生まれます。あるいみ過干渉の生み出す観念ともいえるでしょう。
そしてこのような営みの中で生みだされた罪悪感は、人間関係上の支配や囚われを作るのにとても有効な材料となります。
さて今回はあくまでこのCM場面を取り上げましたが、実症例での介入となると、母親がどのような理由でこのような場面を自然に作り出すようになっていったのかを洗うことになります。つまり母親側の事情を見つめていくことになります。
従って心を病んだ子どもの回復と創造を誘う際には、子供が母親にされた事象を中心に見つめるわけではありません。母親が子どもにやってきたことを通して、母親がその上の世代にされてきたことを踏まえ、その影響を子どもが解釈していくように助言することにあります。
このように自分を外し、距離をもって親子関係を見つめることで客観視出来るようになり、いわゆる「私は親のようにならない」の流れに繋げていきます。辛さを味わった当事者の子どもは、まるで客席から舞台をみつめような感覚の中で、絡まった自分の親子関係をほどいていくことになります。
最後に
川崎市のメンタルクリニック・心療内科・精神科『川崎沼田クリニック』では、人間関係でお悩みの方の診察も行っております。下記HPよりお問い合わせください。
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