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    川崎沼田クリニック

ギャンブルは負けたくて行う (前)

  • 2024
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謝罪
 

言葉に出来ない思いと依存症

依存症(アディクション)と呼ばれる行為や衝動に経緯は、全て一括りに出来るものではありません。確かに依存症は対象物が何であってもほとんどの場合に、「いまの状態に向き合いたくない」という「払拭願望」は少なからず有しているでしょう。これは、そうでなければ本人にとって不本意があるとわかっているにもかかわらず、優先順位を上げてわざわざその不具合な対象や行動に挑戦することはないからです。また依存症対象物や行動には、その当事者にとって「早くて」「簡単で」「確実に」という条件を有していることからも、余裕がない心の状態であることはみてとれます。

しかし一方で、一見「払拭」のように当事者にとって目先の利益ではないものもあります。わかりやすいのは、「周囲を巻き込む」という目的の場合です。例えば私が依存していることで注目してもらえることで、家庭における他の人間関係がおさまっている場合などがあります。たとえば子供が不登校になると両親のけんかがおさまってくれることもあります。子どもは自分で両親のけんかの仲裁は限界があります。だからこそだとは思いますが、子どもは「だれがどのような視点でモノを見ているか」には、もしかしたら大人よりも感覚的に敏感かもしれません。不登校の要因が、学校ではなく家庭にあるという例の典型です。

海岸を歩く家族の影

摂食障害はただやせていたいわけではない

次には摂食障害(食べ物の依存)を見てみましょう。これは一見「やせてみられていたくて」があります。これをボディーイメージという言い回しをします。しかし摂食障害のうち長い罹病期間を有するいわゆる過食症を考えてみます。確かに食べた分吐いたりして出しています。しかし入院していない人においては、全体的にはやせていません。余談ですが私が以前働いていた依存症デイケアを見学した人に、「ここは太っている人が多いですね」と感想をもらったことすらあるぐらいです。

当事者は「やせていたい」は旗印とし、「やせていない」私を意識づけし、「痩せていないことで好かれない」という論理展開になっています。一見摂食障害にとって当たり前の考え方かと思うでしょうが、実は深層は焦点が違います。なぜなら実際にはそれより痩せに行かないわけですから、本音は「やせていないから好かれない」と思っているわけではないのです。多少こんがらがってきますよね。実は摂食障害の当事者にとって、「痩せていないこと」の対極にあるのは「やせていないこと」ではなく、実は本人の「人柄」なのです。

つまり「私が悪いから好かれないのではなく、痩せていないから好かれないのだ」と思い込みたいということです。このように考えれば、過食嘔吐を訴えていながら、痩せていかないことには合点が行くのです。そもそも痩せることに対して第一優先での興味ではないのです。

ちなみに、なかなか言葉にはなってきませんが、入院中の摂食障害の方も同様な趣が大きいと思います。理由は「別に痩せにこだわらなくてもいいのだ」と思ってボディーイメージへのこだわりを手放していくときには、大抵自分以外の影響力が高い人物の評価が出てくるからです。つまり人付き合いの話になるのです。摂食障害に自助会が有効な理由は、「私の意見や考え方、捉え方を評価してもらえると感じた時」のようです。そこでは「痩せている私がいいのだ」を評価してもらって安心しているわけではないのです。

もう一つ患者さんを診ていて理由を思いつきます。それは絶対にないとまでは言いきりませんが、得てして摂食障害の病棟で、入院患者さん同士のボディーの戦いが始まらないことです。もし「痩せていることでと好かれる」となれば、病棟内で「あの人より私はやせていない」ことに触れて気持ちが沈んだり、争いが生じたり、過食嘔吐が増えてもおかしくありません。しかし病棟内過食嘔吐の動機は、目の前の出来事ではなくて当事者の頭の中で考えたことに最初の伏線があります。多くの同じ摂食障害の人がいる依存症病棟なのに、あくまで当事者各々が意識づけされる焦点は「自分」と「自分に影響を与えた人」の自身への評価です。目の前に見えることに感化されているというより、あくまで当事者の優先順位は「過去の私への評価の払拭」と、「将来の私への評価の担保」になっているのです。

アルコールの「否認」も言葉にならないから

当事者が嘘をついているわけでも、欺瞞をしているわけでもありません。たとえばアルコール依存症の当事者は「好きだから飲んでいるのだ」といいます。俗にいうアルコール依存症の「否認」です。依存症の当事者は進行方向がわからなくなっているのです。

このように依存症とは、「当事者も意識づけできていないところに端を発している」ことがあります。従って見える範囲ではなく、掘り下げていくことが大切になります。

前半まとめ : 後半はギャンブルの「両極端」の理由

前半はギャンブルの話の前に前提を示しました。この前提をもとに後半は、「ギャンブルは実は負けたくてやっている」ことに対する心理解釈を進めます。

 

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沼田真一
川崎沼田クリニック 院長
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