29Apr

今回の項の前半はパワハラから始まり、暴走行為など衰退した衝動行為の流れを述べました。時代が事象に適正に距離を取る方向に動いていくことを期待し、現在の問題であるSNS攻撃について発展させます。
パワハラもまた、理解されることで消えていくはず
パワハラもまた、同じ構造を持っています。加害者の行動の裏には、必ずと言っていいほど「抑圧された鬱屈」が潜んでいます。それを周囲が理解し、「この人は本当は別の誰かに怒っていたのだ」と認識できるようになったとき、加害者自身もまた自分の心を見つめ直すきっかけを得ます。
そして、職場という閉鎖空間における暴力的な力学は、次第に力を失っていきます。パワハラは「見抜かれたら終わり」です。加害者が本当に訴えたかった声、抱えていた痛みに周囲が気づくこと──それこそが、パワハラ問題を本質的に減らしていく最も効果的な方法なのです。
背景を理解されることで消えていく
例に挙げた暴走行為も市民が相手ですが、同様にSNS発信や芸能活動など不特定多数を見据えた活動に裏側には、「素性が分かれば終わり」という状態を見据えて見つめて頂ければと思います。秘密が秘密でなくなった瞬間、エネルギーは失われていきます。そしてファンと言われる状態にならなくなるでしょう。
もちろんこのような芸能活動は、発信側も受け手側も折り込み済みのことで、イリュージョン性は分かりますから飛び越えた事件に発展することは距離がある限り防げますが、一方でまだ脆弱で見境がつかなくなりがちな媒体がSNSでしょう。
そもそもSNSの構造自体が、知らず知らずのうちに煽るように持って行っています。事実の拡散という建前の裏で、感情の拡散を煽り、事実と感情の間の見境をつけさせないようにしています。ここも見境がばれたら終わってしまうのです。

まとめ – 距離が取れる社会へ
従って特にSNSの炎上先の対象にされてしまった方、また横に触れているギャラリーの人達が、このような様子は発信者の個人的な背景が合理化して生まれてきていることにさらにピンと来るような世間となり、もって実際に生じている実体そのものを適切に把握できる距離が取れる社会に繋がればと願っています。
とはいえ、上述した暴走行為場面が少なくとも都市部では実際には減ってきています。従ってこれに準じて、過大な社会事象は衰える方向に向かう余地はある社会を信じたいところです。
受け入れがたい出来事を受け入れざるを得なかった過去に対して、合理化という擁護は心の中で生じやすいものです。しかし対象を変えても釈然感は満たされません。
「本当に言いたい相手は別にいる」…これが人間関係の治療の焦点です。