11Jun

はじめに
診察をしていると、「なぜそこまで極端な条件を相手に求めるのだろう」と感じる場面があります。自分からは動かないのに理解されたい。少しでも期待通りにならないと関係を切りたくなる。こうした行動は「わがまま」「未熟」として片付けられることがあります。
しかし、その背景に目を向けると、多くの場合「かつて一生懸命やったのに、報われなかった」という体験が潜んでいます。この記事では、過去の人間関係における損失が、現在の対人行動にどのような形で現れてくるのか・・・。
反動・取り返し・損失回避という流れから、対人トラブルや依存症と共通してみられる心の動きについて考えてみたいと思います。
極端な要求は、現在ではなく過去への反応である
対人関係で「要求が多い」「すぐに感情的になる」「極端な条件を突きつける」と言われる方がいます。傍から見ると理解しにくい振る舞いですが、臨床の場で話を聞いていくと、これらは現在の相手に向けられているように見えて、実はずっと昔の誰かとのやりとりに向けられているように感じることがあります。
過去に誰かに向き合い、誠実にやりとりしようとしたけれど、それが全く通じなかった体験。あるいは、我慢し続けたのに一度も報われなかった体験。そのような積み重ねは、「まともに関わっても無駄だった」という記憶として蓄積されていきます。そして現在の人間関係に対しても、「どうせ通じない」という前提を持ちながら、それでもどこかで報われたいという矛盾した要求として表れることがあります。
つまり、今目の前の相手に対して戦っているように見えて、本人の内側では昔の誰かとの決着をつけようとしている・・・。こうした「時間軸のずれ」が、極端な対人行動の背景にあることは少なくありません。
「取引コストを払い続けた人」の心に何が起きるか
人間関係には、目に見えない取引コストがあります。挨拶をする、気を遣う、相手の都合に合わせる、言いたいことを飲み込む——こうした日々の積み重ねは、静かに膨らんでいきます。
それが報われていれば、関係は続きます。しかし、払い続けても一向に返ってこなかった経験が重なると、「今度は自分がもらう番だ」という感覚がどこかに芽生えてきます。これを私は「取り返し」と呼んでいます。
問題は、この取り返しは意識されないまま動いていることが多い点です。「自分から挨拶しなくても挨拶してほしい」「努力しなくても認めてほしい」という気持ちは、怠惰から生まれているのではありません。それはコストを払い続けて報われなかった人の、こころのバランスを保とうとする動きです。ただ、こうした「受け取ることへの過剰な期待」は往々にして相手には伝わらず、また理解もされにくいため、さらなる対人摩擦を生むことになります。

損失は、同等の利得では埋まらない
行動経済学に「プロスペクト理論」という考え方があります。人は同じ量の利得より損失を強く感じる、という現象を示したものです。
これを人間関係の文脈に置き換えると、「過去のマイナス1は、現在のプラス1では埋まらない」ということになります。むしろ「過去のマイナス1を埋めるには、現在のプラス2が必要だ」という感覚に、気づかないまま陥っていることがあります。
だからこそ、普通に優しくされても「足りない」と感じてしまう。普通に認められても「不十分だ」という気持ちが残る。こうした「何をしてもらっても満たされない感覚」は、相手の誠意が欠けているからではなく、抱えている損失の総量が、現在の関係から得られる量を大きく上回っているために生じていることがあります。
逆説的ですが、相手が誠実であればあるほど、そのギャップへの気づきが苦しさを増幅させることもあります。
「今度こそ楽をしたい」—依存症や子ども返りに見える同じ方向性
依存症や、いわゆる「子ども返り」と呼ばれる行動にも、同様の心の動きが見えることがあります。「今度こそ楽をしたい」「今度こそ補償されたい」「今度こそ、何もしなくても受け入れてもらいたい」——これらはいずれも、長年払い続けてきた対人コストへの疲弊と、それへの反動から理解できる部分があります。
アルコールや過食、あるいは関係依存という行動は、「その瞬間だけでも、取り返せる感覚」を与えてくれます。それは一時的なものですが、積み重なった損失感を持つ人にとっては、その一時の感覚こそが手放せないものになっていきます。
「なぜやめられないのか」という問いは、「なぜそれほどまでに取り返したいのか」という問いと、実は同じ方向を向いています。行動の表面だけを見ていると見えないものが、こうした心の動きの文脈から眺めると、少し輪郭を持って浮かんでくることがあります。
▼依存症を深ぼってみました。
▼「子ども返り」については下記の記事をご参照ください。
▼摂食障害についても述べております。
最後に
川崎市のメンタルクリニック・心療内科・精神科『川崎沼田クリニック』では、さまざまな精神的なお悩みをお持ち方の診察を行っております。下記HPよりお問い合わせください。
https://kawasaki-numata.jp
院長プロフィール
川崎沼田クリニック 院長
日本精神神経学会 専門医
沼田真一
平成12年、秋田大学医学部卒。
同年東北大学医学部精神科に入局後、東北会病院(仙台)嗜癖疾患専門病棟にて併行研修。
平成14年、慶應義塾大学精神科医局に移り、同時に家族機能研究所・さいとうクリニック(東京・港区)で研鑽する。
平成16年、財団法人井之頭病院(東京・三鷹)で、アルコール依存症専門病棟担当医。
平成17年よりはさいとうクリニックで、アルコール依存・摂食障害・DV(虐待)・ひきこもりなど家族問題と精神疾患に従事する傍ら、産業医としての診療や各種のハラスメントなど組織内の人間関係問題に対する相談業務を担う。







