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こころ、こんにちは。ブログ

    川崎沼田クリニック

衝動性をみつめることは、本当の私を見つめること(2)

 
 
 

心療内科は「症状」とともに「衝動」を見つめます。今回は後半です。

こころの敏感さは「アレルギー反応」

 前項で衝動性について述べました。ここでは次にこころの不調の刷り込まれ方を考えてみましょう。多くのこころの不調 (症状と衝動) は、いずれも前項で述べたように本人の過去の体験およびその影響に伴うモノの考え方や価値観が絡んでいます。そしてその反応はまるでアレルギーのような入り込み方をしているのです。

 たとえばアレルギーの代表である花粉症を示しましょう。初めての花粉の流入時は全く症状としては出てきませんが、実は身体の中では花粉に対して違和感を示し、免疫という防御機構を作り始めます。そこで出来上がったいわば異物に対する盾を抗体といいます。花粉症とは、花粉の初回流入に伴って生じたこの防御システムが過剰に働いてしまい、知らず知らずのうちに必要以上の抗体が出来てしまっています。この防御盾がたくさんある中で抗原である花粉の二回目の流入があると、身体の中に花粉の反応を取り入れまいとして過剰に抗体が反応し、ある意味副作用としての鼻水や涙などの症状を呈することで、逆に生活上の不具合として認識されます。

こころの過剰反応とは

 こころの症状も、このような過剰反応の末にあらわれるようなものです。

 科学では「ここを超えるとあらわれてくる限界ライン」を「閾値」と言います。こころの反応もこの「閾値」になるまでは何も生じません。しかし一度このラインを超えると症状として一気に現れます。ちょうどコップの水が溜まり、一気にあふれるような感覚です。もちろん最後の一滴が入ったことにより少しだけこぼれるような反応もあります。しかし例えばトラウマ反応など驚愕な場合は、アレルギー反応のように一気に噴き出ることもあります。普段はコップの水の量に余裕があっても、いざたまり始めると急速でとめどなくなり、よってあふれる度合いも大きくなってくるようなものです。

 こころの場合はこのアレルギー反応が、その方の生い立ちの中で我慢してきた感情、釈然としないまま受け入れてしまった事実の裏返しとして、二回目以降に過剰反応として生じてきます。特に「何もなかったかのようにふるまったこと」「納得していない中で受け入れたこと」などが、後々になって不具合として出てくるのです。

こころは「アップデート」による「上書き保存」で拡がりをみせる。

 よってこころの病とは、現在の不具合を引き起こした直前の出来事のみに目を向けるだけでは拙いことが多いです。つまりきっかけとなった出来事より以前に脈々と蓄積され、かつ気付かないようになってきた鬱憤や怒りを見つめ直すことが、症状や衝動を再び引き起こさないことにつながるでしょう。

 このような点から、こころの治療とは直すものではなく、新たに創っていくものと考えています。つまり現在の体験による上書き保存により、過去の体験自体が本人にとって理不尽なものであったとしても、今後の生活に影響を及ぼさなくなるようにもっていく感覚です。

 当たり前ですが、小さな子どもは極端な表現しか出来ません。不満足な時の怒りやわがままな態度は、大人から見れば激しい表現に映ります。しかし子供は周囲環境が狭く親など非常に特定の人物とのやり取りしかないため、当然ながら視野が狭くならざるを得ません。次第に体験が増えることで、一つの考え方や感情に対して敏感ではなくなってきます。

こころの拡がりは「食事」と「料理」の関係に似ている。

 少々奇抜な例えをしますが、こころの取り回しの拡がりは、食事とレシピの関係に似ているように思います。まず料理をする機会が多くなれば、ストレスや状況に応じたレシピが作れます。しかしレシピが少なくても、食事をしないわけにはいきません。従って食べたくないものでも自分で作って食べなければなりません。

 食べたくないのを作るので疲れますし、食べたくもないものを食べなくてはならないので納得もいかないし、またそれしか作れない自分に罪悪感も生まれてきます。これをこころの話にあてはめると、レシピが少なければ釈然としなくても、同じ考え方や感情を持つしかありません。ちなみにこれがアルコールなどの嗜癖問題や衝動統制障害に伴うこころの動きです。

 しかし他者とのやり取りが増え、実体験が増え、自分で使えるレシピが増えてくれば、同じような考え方を毎回しなくて済むようになります。このようにして生い立ちから受け取った考え方をアップデートにより薄めていくことで、物事に対する捉え方やハンドリングが拡がって余裕が生まれ、しいては「閾値」を超えなくなっていくでしょう。

症状や衝動は「氷山」の見える範囲に過ぎない

 こころの不具合に出てくるのは、「氷山」の頂上の部分です。出てきた氷山の上の部分を削っても、底や根元を見つめなければ氷山はまた海の上に姿を現します。ではいたちごっこにならないためにも、氷山の下の部分にあたる生い立ちや環境といった側面を同時に慮っていくことが大切です。

 このように症状とはこころの不具合、とりわけ鬱憤や怒りの表れです。いまを取り巻く状況とこれまで取り巻いてきた環境を全体像として見つめることで、むしろいまの不具合が新たな自分を発見するきっかけとなればと思います。症状に転じる前の鬱憤や怒りの段階でこれらの点検を行えば、新たな自分をより創りやすいでしよう。 

こころの症状や衝動は、「もうこれ以上こころに負担をかけないで」という警報シグナルです。症状が出るまで耐えることなく、「悩み」の段階で相談して頂ければと思います。

 

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沼田真一
川崎沼田クリニック 院長
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