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    川崎沼田クリニック

投影性同一視と児童虐待の関係

  • 2022
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今回は家庭内でなにかしらの心理的なお悩みを持たれている方向けに、児童虐待の心理について、母親と子どもを例にして紹介していきます。
特に家庭内虐待に生じる慈しみと虐めの両極端さが焦点と考えています。

極端な行動の裏には「別の人」がいる

私は児童虐待の心理性について、「よしよし、バーン」と例えています。その名の通り、「よしよし」と撫でたかと思うと、次の瞬間何かの拍子で「バーン」と叩いてしまうのです。繰り返されている虐待事例ほど、このような急激な変化が繰り返されているように見受けられます。

このように児童虐待における行動変容には、「豹変さ」があります。もしその母子のやりとりの場面をそっと脇から覗いていたとすれば、虐待に至る瞬間の急激な母親の様子の変化に衝撃を感じることでしょう。

まず前提として、このように極端に行動が変化する場合は、その場面にいる登場人物だけの関係性で
理解しようとするのは無理があります。つまり現在の母親と子どもという実在する2人の他に、目の前の子どもを見る母親の頭の中には別の人物が浮かび上がっています。なかでも「この子ぐらいの頃の私」像は、虐待のその瞬間には大きく描かれています。

「よしよし」場面は、私の子ども時代にしてほしいこと

さてまずはこの前提のもとに、「よしよし」の場面について述べます。

これは単純ですが、「このようにしてもらったら私が子どもだったら嬉しいだろうな。喜んで受け入れるだろうな」と想像しているときの行動です。

自分自身の子ども時代を想像しながら、目の前の子どもに対して「受け入れてもらえるだろう」という想いで接しています。この時は当然、母親自身が子どもの頃に「してもらって嬉しかったこと」、あるいは「自分はしてもらえなかったけれども、きっと子どもはこのようにしたら喜ぶだろう」と想像することを基準に子どもに接します。

ちなみに後者は、母親と子どもは単純に育った時代は少なくとも異なりますので、母親が未経験なことを子どもに与えようとする場面で遭遇します。よってこの場合は一歩下がって見つめていることになるため、より想像力で子どもに接していくことになります。

いずれにせよ、常に母親は子どもの気持ちに想像をたぐらせながら振る舞うことになります。

憂鬱 少女

「バーン」は、目の前の子どもに対する嫉妬心

しかし先ほどの過去に自分がしてもらえなかったことに対する「よしよし」は問題があります。

特に繰り返される児童虐待の場合は、母親が子どもを「よしよし」と慈しんでいる場面から、何かの拍子に急に母親の心情が変わって虐待に至ることがよくみられるからです。この何かの拍子とは、「自分の子ども時代の様子と、目の前の子どもとの間に重なりを感じた瞬間」です。つまり「よしよし」と子どもを見ながら、突然「自分はこのようなことをやってもらえなかった」という心の奥底にしまわれていた感情が、自分が子どもにしている優しさや慈しみの行為により、かえって飛び出してくるのです。

よってこの瞬間は自分の子どもに対して嫉妬してしまいます。ただただ笑顔で母親の優しさを受け入れている目の前の子どもが急に気に食わなくなってきます。このような時に、理由なき「バーン」が起こってしまいます。

この虐待が始まろうとしているとき、子どもに向き合っている母親の頭の中には、もう一つの過去の場面が蘇ってきています。つまり、抱いている目の前の子どもが母親の子ども時代の私で、まさに抱いている母親の姿が「母親の母親(子どもから見れば祖母)」の姿を想像しています。

特に母親自身が虐待に苦しんできた過去がある場合、優しいふるまいの最中に突如過去の場面が思いだされ、「私はこんな優しいことはしてもらえなかった」と目の前の子どもに嫉妬して叩きたくなる衝動に駆られます。これが「よしよし」の次に来る「バーン」の流れです。

投影性同一視は、巷でもよく生じる防衛機制であり、気づかないうちに人間関係の軋轢の大きな要因になり得ています。その応用ともいえるのが、前項からの児童虐待の心理の流れにあらわれています。

「投影性同一視」とは

まず前項では、優しさから暴力に突然切り替わる性質を持つ、児童虐待の極端さについて述べました。改めてこれを心理学用語で示すと「投影性同一視」というものが背景にあると考えられます。

投影性同一視とは「悪いと感じる部分をずっと感じ続けていると、自責感から自分を傷つけてしまう恐れがあると感じるため、目の前に相手にその悪さを映し出して相手の良くない点として捉えることにより、まがいなりにも自分の不安な気持ちを解放しようとする」という防衛機制です。

ここで述べる自責感を解放するには、あくまで勝手に相手の悪いところとして指摘しています。これは瞬時に自分の中からその悪い所を追い出す必要に「駆られて」のことです。よって急に投影された相手はその変貌ぶりに驚いてしまいます。

そして「駆られる」ということは、突然親など本人にとって過去に影響が大きかった誰かに突然指摘されてしまったように感じてるため、「急いで」拭い去りたくなります。その結果無理矢理感が大きい行動として見られます。

またこれは上述のように「まがになりにも」の対処法なので、あくまで有効期間は短いものです。よって時には相手を変えて何度も同じことを繰り返します。ここで時に気難しい人という流れが生じます。

「決めつけ」という思い込みとして派生

この防衛機制は、巷ではよく「決めつけ」という形であらわれます。決めつけた側が勝手に ”いけないこと” と捉えているわけですが、これが相手に対する怒りとして現れています。ということは、実は「本当はいけないとされていることを「本当は本人自身がやりたがって」います。よってこれはいわば、嫉妬感情の裏返しとなります。

ここまでに例として示した児童虐待の場合は、この投影性同一視の亜型が生じていると考えられます。つまり上述の一般的な投影性同一視における「現在の」自分の悪い点を目の前の子どもに映しているのではなく、「過去の子ども時代の自分」を映し出してしまっているのです。

このように極端さやムキになっている行動、あるいは気難しい人と言われる流れには、目の前の人以外の像が新たに生まれてきているということをとらえることが肝要です。

いじめ

「お局」- 投影性同一視派生のもう一つの例

ちなみにこの極端さが組織でよくみられる一例が、「お局」といわれる場面かもしれません。

つまり「機嫌がいい時と悪い時」と巷では言われてしまっているとは思いますが、児童虐待同様に極端に行動が変わっている様子などには、この投影性同一視に伴う受け入れがたい嫉妬がはびこっていることがあります。

もちろんこの「お局」をやらざるを得ない当事者に対しては、過去を切り離すことで「あの時のことがまた起こることはない」という感覚を、身体で覚えていくように導くことが介入となります。

(注釈)

(※)ちなみにこの機制を「投影」と捉える人もいるかもしれませんが、主格と対象が向きが完全に反対になっておらず、また現在と過去という時間軸にずれがあること、あるいは映し出される増に対して否認と攻撃性を伴うことから、投影性同一視が無難な解釈と捉えています。

 

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沼田真一
川崎沼田クリニック 院長
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