8Mar

はじめに
努力や修行という言葉には尊い響きがあります。しかし精神臨床の現場では、成果が自分の中で確かめられない努力ほど、周囲を巻き込みやすいという現象が見られることがあります。宗教勧誘や過度な啓蒙活動の背後にも、この心理構造が潜んでいることがあります。
本稿では、成果の見えない修行がなぜ周囲を巻き込む衝動を生みやすいのか、そして見境のある人がどのような態度を取るのかを考えてみたいと思います。
成果が確信できない努力は不安を生む
努力や修行という言葉は、一般には肯定的に受け取られます。
何かを我慢し、継続し、自分を高めようとする姿勢は確かに価値のあるものです。
しかし、努力にはもう一つの側面があります。
それは「成果が見えないときに生じる不安」です。
自分のしていることが本当に意味のあることなのか。
この努力は正しいのか。
その確信が持てないとき、人は内面に落ち着かなさを抱えることになります。
この不安が強くなると、人は努力そのものを見直すのではなく、別の方法で安心を得ようとすることがあります。
周囲を巻き込むことで安心を得ようとする心理
その一つが「周囲を巻き込む」という行動です。
自分だけがやっていると不安になる。
しかし皆が同じことをしていれば、それは正しいことのように感じられる。
つまり、周囲との平等や同調を作ることで、自分の努力の正しさを確認しようとするのです。
この構造は、宗教勧誘や過剰な啓蒙活動の心理ともよく似ています。
本人は「良いことを広めている」と感じていることが多いのですが、その内側には確信の弱さや不安が隠れている場合があります。
精神分析では、自分の内面の不安を他者に共有させようとする現象を
投影性同一視(projective identification)と呼びます。
(Melanie Klein, 1946)
自分の中の落ち着かなさを、相手にも感じさせることで心理的な均衡を取ろうとする働きです。

見境のある人は巻き込まない
一方で、見境のある人の態度はかなり違います。
自分のやり方や考えを語るときも、
「私はこうだけどね」
という言い方をすることが多いものです。
ここには重要な特徴があります。
それは「距離」があることです。
自分の考えを示すことと、他者を巻き込むことは別の行為です。
見境のある人はこの違いを自然に保っています。
そのため、自分の努力や信念を語ることはあっても、周囲を同じ方向に引き込もうとする衝動には駆られません。
静かな確信は他人を必要としない
精神臨床の現場で見ていると、本当に確信のある人ほど静かです。
自分の努力や信念に納得している人は、周囲に同じことを求めません。
他人がどうしているかは、それほど重要ではないからです。
逆に、強く巻き込もうとする人ほど、内面ではまだ確信が揺らいでいることがあります。
努力そのものは尊いものです。
しかし、その努力が周囲を巻き込む衝動になっているとき、その背後には不安や確信の弱さが潜んでいる可能性があります。
そのときこそ、一度立ち止まり、自分の努力が何を支えにしているのかを静かに見つめ直すことが大切なのかもしれません。
院長プロフィール
川崎沼田クリニック 院長
日本精神神経学会 専門医
沼田真一
平成12年、秋田大学医学部卒。
同年東北大学医学部精神科に入局後、東北会病院(仙台)嗜癖疾患専門病棟にて併行研修。
平成14年、慶應義塾大学精神科医局に移り、同時に家族機能研究所・さいとうクリニック(東京・港区)で研鑽する。
平成16年、財団法人井之頭病院(東京・三鷹)で、アルコール依存症専門病棟担当医。
平成17年よりはさいとうクリニックで、アルコール依存・摂食障害・DV(虐待)・ひきこもりなど家族問題と精神疾患に従事する傍ら、産業医としての診療や各種のハラスメントなど組織内の人間関係問題に対する相談業務を担う。







