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続々・謝らない人 :「見捨てられ不安」と「毒親」

見栄・意地は「見捨てられ不安」からの回避

ナルシズムに生じがちな「境界性人格障害」の診断項目には、「見捨てられ不安」という訳があります。これは境界性人格障害の項目の中でも大きな要素を占める部分です。

これを文字そのまま捉え「見捨てられる不安に駆り立てられている」で確かに間違いではないのですが、これではなかなかしっくり来ません。なぜならいつも周囲から見捨てられる不安に駆られながら生きているということは、境界性人格障害の人に現実には生じていません。何かに夢中になっている時間は実際にはあり、むしろ現実の生活から生じる思いを感じたくなくて、夢中になりすぎてムキになっている場合すらあります。よってここで少し注釈を加えてみます。

「見捨てられ不安」は謝罪のやりとりから生まれる

確かに人格障害の人には「見捨てられる怖さ」は潜伏しています。そして何かに夢中になることによって、この怖さが優先感情に上がってくることを回避してバランを取ろうとしています。ちなみにその対象物や行動が、依存症や嗜癖行為と言われて表面化することにもなります。

しかしこの見捨てられ不安は、「常に」ではなく「反応性」という方が妥当です。つまりある時に周囲からの私に対するアクションを「見捨てられた」と誤解して感じてしまうのです。

この動きの根元こそが家族関係に由来します。また謝るという場面からの学びにもつながっています。

例えば親が何かの時に「謝れ」と子どもに伝え、子供がその通りに謝ったときに、親が「もういい!!」とその場を去ってしまう場面は、日本人の親子関係でも想像に難くありません。まだ考えが短絡的な子ど羽もが、謝ったことに対してこのような収まり方を「日常のやりとり」として優先されると、「謝ったら去られる」という考え方になってきます。子供にとっては、去られた後は気持ちの良いものではないでしょう。あとで親から無理難題の困難が待ち受けていることもあります。

このように大人は相手にその場を離れられること自体に大きな不安は感じませんが、子どもは生死にかかわる事態を連想することにもなります。従って「謝ったら去られる」事態は、子どもはより避けたいと考えるようになります。そのために子どもは時には親に嘘や言い訳をしたりと、何とか去られることを回避しようとしますが、またこれも親からとがめられて立ち往かなくなる状態に陥ります。

「謝っても許されない」という体験の引きずり

このようにそもそも見栄・意地の流れは、「謝ったら去られる」という親子関係上の怖さから来る態度に由来しているものです。つまりこれが見捨てられ不安の由縁です。

例えば欧米人のように握手という文化があればと思いますが、仲直りを態度で見せる手段が東洋人には少ないため、このような愛着形成になりがちな部分もあるでしょう。

人格障害やナルシズムの人に対しては、「謝ったら許される」「謝った方が報われる」という考え方が世間では優位であることを、身体で覚えていくことになります。しかし最初はこの感覚がよのなかにそんざいすることをイメージすることは、このような方々にとってはとても難しいものです。

なぜならこれも親から「謝ってもただで許されることはない」というのを教わっているからです。もちろん親も子供と同じような感覚を味わって来されられたという、世代伝達の影響が大なのです。

追伸・毒親からの脱却

ちなみに最近流行の「毒親」ですが、これは悩む当事者の親子関係を考えていくよりも、毒親とその親との物語を下の世代の人が考えていく方が肝になります。なぜならその毒親の立ち居振る舞いや考え方は、体験してなければできないからです。

毒親に限らず、パワハラやいじめやDVなど極端な行動や考えは、直接間接含めて体験して味わっていなければ衝動の中で出来ないものです。よってこれらはいわば知らず知らずのうちに身についた「癖の病」のため、再び陥らないようにその由縁を言葉にできるようになり、そして新しい価値観を体感して脱却をはかることが「関係性の治療」となります。

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沼田真一
川崎沼田クリニック 院長
神奈川県川崎市川崎区砂子2-11-20 加瀬ビル133 4F