5Mar
はじめに
依存症は「意思が弱いから起きる」と説明されることがあります。しかし心理学や行動経済学の視点から見ると、もう少し違った理解ができます。人は将来の利益よりも目の前の利益を強く感じてしまう傾向があります。
これは行動経済学で「現在バイアス」と呼ばれる心理です。未来は抽象的で、現在はとてもリアルに感じられるため、人はどうしても目先の安心や快楽に引き寄せられてしまいます。
依存症は、この現在バイアスが強く働いている状態として理解することもできます。ただし、それは単に衝動が強いという問題ではなく、未来を思い描くことが難しくなっている心理状態と関係していることが少なくありません。
現在バイアスと依存症
人間の意思決定には「時間割引」と呼ばれる傾向があります。将来得られる利益は、時間が遠くなるほど価値が小さく感じられてしまいます。行動経済学ではこの傾向を「現在バイアス」と呼びます。
例えば、健康のために運動した方が良いと分かっていても、つい今日の休息を優先してしまう。貯金が大切だと分かっていても、目の前の買い物をしてしまう。このような経験は誰にでもあります。
依存症では、この現在バイアスが極端な形で働くことがあります。アルコールやギャンブル、薬物、スマートフォンなどは、将来の問題を理解していても「今の安心」や「今の快楽」を強く感じさせます。
その結果、未来の不利益よりも現在の感覚が優先されてしまうのです。依存症は意思の弱さというより、人間の意思決定の仕組みが強く働いた状態とも言えます。
未来が見えないとき人は現在に引き寄せられる
しかし臨床の現場では、単に現在バイアスが強いだけでは説明できないこともあります。依存症の方の話を聞いていると、「未来を想像できない」という感覚が語られることがあります。
家庭環境や親子関係の中で強い不安や緊張を経験してきた場合、人は将来を考えるよりも「今をやり過ごすこと」に意識を向けるようになります。心理学では、このような状態を「短期的対処」や「情動調整行動」として説明することがあります。
つまり依存行動は、快楽を求める行動というよりも、現在の苦痛を和らげるための行動として働くことがあります。未来が見えない状態では、遠い利益よりも目の前の安心が圧倒的に強く感じられてしまうのです。

未来が見えると人は変わり始める
依存症の回復の過程では、ある変化が見られることがあります。それは「未来を少しずつ思い描けるようになる」という変化です。仕事、人間関係、生活の目標など、自分の先にある時間を想像できるようになると、人は現在の行動を変える力を取り戻していきます。
未来が現実のものとして感じられるようになると、現在の選択の意味も変わってきます。心理学では、将来の自分を具体的にイメージできることが行動変化を促すと考えられています。未来が見えてくると、現在バイアスに引き寄せられていた心のバランスが少しずつ変わっていきます。
依存症からの回復とは、単に行動を我慢することではなく、未来を感じる力を取り戻していく過程とも言えるでしょう。
院長プロフィール
川崎沼田クリニック 院長
日本精神神経学会 専門医
沼田真一
平成12年、秋田大学医学部卒。
同年東北大学医学部精神科に入局後、東北会病院(仙台)嗜癖疾患専門病棟にて併行研修。
平成14年、慶應義塾大学精神科医局に移り、同時に家族機能研究所・さいとうクリニック(東京・港区)で研鑽する。
平成16年、財団法人井之頭病院(東京・三鷹)で、アルコール依存症専門病棟担当医。
平成17年よりはさいとうクリニックで、アルコール依存・摂食障害・DV(虐待)・ひきこもりなど家族問題と精神疾患に従事する傍ら、産業医としての診療や各種のハラスメントなど組織内の人間関係問題に対する相談業務を担う。







