15Jun

今回は対人関係援助の流れについて述べます。DVや虐待、パワハラといった強要、騒ぐといった形のぎくしゃくについての援助を述べます。内容は援助職としての自らの戒めも含みます。前後半二回に分けて述べます。
導入:算数と対人援助のたとえ話
小学校2年生で九九、小3で割り算、小4で分数を習い、中学に入ってようやく因数分解。このような学びの順番は、実は人間関係の課題にも当てはまります。特に、DVや虐待といった深刻な問題に取り組もうとする際、その対応には中学生レベル、時に高校生レベルの「対人スキル」や「自己理解力」が必要になります。
ところが、現実には「算数すらまだなのに数学の問題に取り組もうとする」方が少なくありません。そして、援助者側が語る内容がちんぷんかんぷんに聞こえてしまうのは、実は無理もないことなのです。
援助者への誤解とフラストレーション
援助職として私たちが冷静に小3レベルの「割り算」からお伝えしようとしても、当事者は「そんなのどうでもいい、早く結果を出してくれ」と焦ります。そして思い通りに状況が改善しないと、「この先生の言ってることは役に立たない」と援助者を責めることすらあります。
これはまるで、小学2年生に中1の因数分解を教え、「なぜ分からないのか」と問い詰めるようなものです。分からないのは当然ですし、それを自分でも「分からないことが分からない」状態にある、というのがこの構造の難しさなのです。

自分の「学年」に気づけないという盲点
人間関係の課題においては、算数のように明確な単元テストがあるわけではありません。そのため、自分が今どの「学年」にいるのかがわからず、無自覚なままにハイレベルな解決策を欲しがってしまうことがあります。
たとえば、「夫に一言〇〇と言ったら、すぐに謝って、以後は私の言うことを聞くようになるような魔法の言葉はないか?」と尋ねてくる方がいます。これは、九九も割り算もすっ飛ばして因数分解の解答だけを欲しがる典型です。
しかし実際には、「そんな言葉は言えない」「言ってもどうせ通じない」と心のどこかで思っており、現実と理想のギャップに苦しんでいることがほとんどです。
(後半に続きます)