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摂食障害は何に対する否認なのか (中)

 
 
実家帰省
 

今回は摂食障害のアディクション性についての中盤です。下記私の論著からまとめています。

精神科治療学 第38巻増刊号:アディクションとその周辺/星和書店 (seiwa-pb.co.jp)

摂食障害は唯一「やめることを目標に出来ない」アディクション

前項では、アディクションでは「否認」というポジションがなくてはならないことを示しました。だからその対象行動や物質を削ぐということをアディクションの治療手段として用います。酒てもアルコールでもギャンブルでも暴力でも「やめる」という方向です。

しかし摂食障害は「やめる」ことを目標に出来ません。ではそれでもアディクションと言えるのかというところがあります。

ところがフード・アディクションという概念が出てきたことをヒントとして、摂食障害の対象を「食行動」と捉えなければ、これはアディクションと捉えられると考えました。つまり摂食障害は食行動異常ではない…と捉えると、より方向性が見えてくるようになりました。

改めて摂食障害とは、何に対する否認なのか

さて元に戻すと、冒頭のいわゆる拒食症や過食嘔吐を伴う神経性大食症など従来からの摂食障害をアディクションと捉えるときは、何かに対して否認していなければなりません。これがいままで流布されてきませんでしたが、過食性障害という概念が出てきたことにより、摂食障害はその過食性障害のさらに次の段階にあると考え、先の論文に著述しました。

つまりそもそも酒やギャンブル・暴力行為など様々なアディクションに纏わる否認は、「そのようなことをやっているのはダメな人間」と当事者が連想することから始まっています。確かに薬物や暴力は犯罪行為としてみなされることもあるため隠蔽衝動に駆られる側面もありますが、アディクション全体からみれば「そんなモノやコトを使っているダメな人間と思われたくない」ことから、徹底的に否認することとなります。

よって、アディクションの当事者の根底には上述に示したアディクション行為を ”してはならない” のです。もちろん法律云々からではなく、当事者の経験からの価値観による捉え方なのです。

自分自身

摂食障害の当事者の目安

ところが摂食障害は、食行動制限や痩せをより進めようとしている、いわば強迫性障害の要素を含みます。しかも現在の食行動を ”してはならない” とは ”優先的には、タダでは”考えていないので、強迫性障害でも洗浄強迫や確認強迫のように、「自分の食行動そのものを恥じて、徹底的に隠す」ということは少ないです。

(※ただしアルコール障害の隠れ酒のように、食べ吐き自体を恥じて隠している症例もあります。この場合は食行動自体を諫められることを避けたいと当事者は考えているため、酒・アルコールなど従来のアディクションに考え方は似ており、従ってこの場合には食行動そのものに焦点を合わせるという治療指針も取り入れることが可能になる線引きです) 

むしろ摂食障害は、その食行動の結果である「痩せ」の程度を、他人とともに確認したいという衝動が優先しているのです。「痩せ」が存在の目印にしているからです。

最終項では、心理学用語から「敵意帰属バイアス」を用いて、摂食障害の否認をターゲットを推敲します。

 

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沼田真一
川崎沼田クリニック 院長
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