29Apr

今回は最初はパワハラ(パワーハラスメント)を題材として、人間関係の関連性を照らし合わせて述べます。
1. パワハラは単なる個人間トラブルではない
俗に言うパワハラが発生した場合、私たちは表面的な二者関係の問題として処理することはしません。パワハラの背景には、個人の育ってきた家庭環境、長年の感情の蓄積が深く関わっています。だからこそ、当院ではパワハラが疑われるケースにおいて、まず加害者本人の家族──親や配偶者を呼び、話を聞くことを基本方針としています。
鬱などの精神的不調と同様に、パワハラもまた家族関係の中で培われた「閉塞感」「抑圧」「怒り」といった感情が伏線となって現れるのです。本人にだけ問いかけても、真の原因にたどり着くことは難しい。だからこそ、家族の存在が重要なのです。
2. 家族を呼べないときの対処─ (人事労務担当を中心に) 分かち合う組織へ
しかし、実際には家族を呼べない事情もあります。成人した本人のプライバシー、家族との疎遠、家庭環境自体が問題を含んでいる場合などです。その場合、次に取るべき対応は、組織の中で本来の怒りの対象を分かち合うことです。
パワハラの加害行為は、多くの場合、本当は別の誰か(例えば親、かつての支配的な存在)に向けたかった怒りが、身近な弱い立場の人にぶつけられるものです。だからこそ、人事担当者、労務担当者、産業医といった立場の人が、「この怒りは本当にこの相手に向かっているのか?」と背景を読み取る力を持ち、組織全体で理解を深める必要があります。
表面上の加害行為だけをとがめても、根本的な改善には至りません。「誰に本当は言いたかったのか」を、組織内で認識し合うことが、パワハラの空気を変える第一歩となるのです。

3. かつての暴走行為者の例に見る「背景がわかれば行動は減る」
この構造は、社会現象にも見られます。今は少なくなりましたが、かつては集団でのバイクでの暴走行為が社会問題になった時代がありました。本人たちの暴走行為は、一見無秩序で自己中心的なものに見えましたが、実際には「本当は親に怒りたかったけれど怒れなかった」という鬱屈した感情の発露が潜んでいることは無視できません。過剰なほどの存在意義の主張は、「そのままで居たら無視されてしまう」など常に怖さが潜んでいることがあります。
しかし次第にこのような「どうも何かあるようだ」というのが、社会全体に理解されるようになったのでしょう、このような暴走行為は急速に減少しました。たとえば、私たちが良く知る川崎地域は決して治安が良いとはいえる場所ではありませんが、暴走族の存在感は著しく低下しました。
もちろん警察などの介入の効果もあるでしょう。しかしそれだけでは収らない時代も長く続きました。つまり「暴走」という行動の背後にある心理が社会に知られてしまったとき、行動自体が意味をなさなくなってしまうのです。
(後半へ続く)