25Aug

「あなたのため」が苦しくなるとき
「あなたのために言っているのよ」。
子どもはその言葉を信じようとします。けれど、実際には「世間体を保ちたい」「親として恥をかきたくない」という親自身の不安や欲求が込められていることが少なくありません。
たとえば「勉強しなさい」という叱咤は、子どもが学ぶ喜びを支えたい気持ちというより、「良い成績をとれば親が周囲から評価される」という世間体のためであることが多いのです。子どもは敏感にそれを察知し、「自分の気持ちよりも世間の目が優先されている」と感じます。
そのときの苦しさは「表ではあなたのため、でも裏では親のため」という矛盾として、心に深く刻み込まれます。これが積み重なると「本当に自分のためを思ってくれているのか」という不信感が芽生え、やがてその不信感を埋めるために「世間に恥じられない自分」を演じ続ける方向へと追い込まれていきます。これこそが完璧主義の始まりです。
北極と南極を同時に背負わされる
完璧主義の人はしばしば「北極と南極の両方を取らされた」ような感覚を抱えています。つまり、正反対のメッセージを同時に課せられるのです。
「自由に生きていい」と言われながら「世間から外れるな」と責められる。
「あなたの好きにしなさい」と言われながら「失敗は許されない」と叱られる。
このように矛盾する要求に晒されると、子どもはどちらを選んでも批判されるため、残された道は「常に完璧でいること」しかなくなります。
そしてこの構造は、しばしば家庭内での虐待体験や過度な支配関係の中で強まります。親の態度が一貫せず、しかもそれを「あなたのため」と正当化されると、子どもは出口のない二重拘束の中で生きざるを得なくなり、完璧主義はほぼ必然的に形成されてしまうのです。

世間体を基準にした自己評価
本来、子どもは「自分の喜び」や「自分の挑戦」を軸にして自己評価を育てていきます。ところが親が世間体を最優先すると、子どもの自己評価の基準も「どう見られるか」にすり替えられてしまいます。
– 失敗すると「親の顔に泥を塗った」と感じる
– 達成しても「これで親が安心するだけ」と感じる
– どんなに頑張っても満たされない
このような思考回路が定着し、「常に完璧でなければならない」という強迫的な信念が固まります。完璧さを手放すことは「親に見捨てられること」と同義になってしまい、やがて大人になってからも自分自身を責め続ける習慣として残ってしまうのです。
回復のために大切なこと
臨床の場では、こうした患者さんが「完璧でなければならない」という縛りから少しずつ自由になれるよう支援します。そのためにはまず、「あなたのため」という言葉の背後にあったのは親の世間体や罪悪感の合理化だった、という事実を見抜くことが大切です。
「完璧に生きてきたのは、自分のためではなく親の安心のためだったのかもしれない」ことの気づきは苦しみを伴いますが、同時に「自分の人生を自分の基準で選んでよい」という自由を回復する入り口にもなります。
まとめ
完璧主義は性格や気質の問題ではなく、親の世間体を子どもが内在化した結果として生まれることが多いのです。矛盾する要求にさらされ、北極と南極の両方を取らされるように追い込まれた結果として、「完璧さ」だけが唯一の生き残り方になってしまう。これは家族を含めた虐待体験の延長線上で理解することができます。
だからこそ「自分が完璧主義だから悪い」のではなく、「親の都合を引き受けてきた結果そうならざるを得なかった」と捉え直すことが、回復の第一歩になります。完璧さを追い求めるのではなく、不完全であっても安心して生きること。その道は「誰のために生きてきたのか」を問い直すところから始まるのです。