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こころ、こんにちは。ブログ

    川崎沼田クリニック

“伝える衝動”とその奥にある心のしくみ

 
 
海岸を歩く家族の影
 

今回はいつもよりエッセイのようになりますが、人々がことさら「伝えたくなる衝動」に駆られる様子を利用している現在のSNSなどの通信手段のあり方を、照らし合わせていきたいと思います。

誰のためでもない「正しさ」が生まれるとき

ある場所に行こうと思ったとき、何かを選ぼうとしたとき、その印象を決める手がかりとして、誰かが残した言葉を探すことは、ごく自然なことです。

しかしその中には、ときに「まだその場所を体験していない方」からの発信も含まれています。
あたかも自分がすでにそこで何かを体験したかのように、「これはきっとこうなるに違いない」「この場所は自分にとってこういうところだろう」と、過去の経験や記憶に基づいた想像で、ことばを投じている場合があるのです。

「頼まれていない正義」はどこから来るのか

そのような言葉や投稿には、ある共通した背景があります。それは、“歪んだ正義感”と呼ばれるような心の動きです。誰かに頼まれたわけでもなく、実害があったわけでもないのに、「これは放っておくと他の人に迷惑がかかる」「自分が声をあげなければ誰かが傷つく」といった思いが、強く前に出てきます。

その感覚の奥には、多くの場合、「自分の過去の経験」が関わっています。たとえば、かつて家庭の中で、あるいは学校や職場などの集団の中で、自分の行動が“みんなに見られている”と感じさせられた体験。あるいは誰にも理由を説明されないまま、「あなたのせいで…」と言われた記憶です。このような過去の“ギャラリーのまなざし”が、今度は自分が「ギャラリー側」に回ることで、合理化つまり自己防衛することが出来ます。

「私は悪くない」「私は正しいことをしている」。そのように言いたくなる背景には、このようにいわば「誰かに見張られていた記憶」が眠っています。

足 落ち葉

○しかし現在は、その行動を裁く人はいません

そのような心の構造があること自体は否定できません。むしろ、それもまた心の防衛として大切な動きです。しかし今のあなたの行動を、誰かが一方的に断罪したり、「迷惑だ」と断じたりするような場面は、もう目の前にはありません。

誰かの行動を「見張る」必要がないように、行動もまた誰かに監視されているわけではないのです。この“ギャラリーのいない場所”でこそ、本当の意味で自己感覚と静かにつながることができます。

「信じたい」と思うとき、それは自分にとっての正しさ

強い言葉が投稿されるのは、「否定されたくない」という思いの裏返しです。一方で、肯定的な言葉もまた「自分の選択を信じたい」「これは正しかったと思いたい」という願いから生まれることがあります。

つまり「言葉を残す行為」はすべて、自分の中の何かを確かめたい気持ちの表れです。それは攻撃でも操作でもなく、どこかで「安心したい」という欲求の形でしょう。

このような心の構造を否定せず、たとえその表現がときに乱暴に見えたとしても、それを“防衛の形”として理解しながら、本当は本意とは言えないやりたくもない行動を、そのままやらずに済むように、届けていきたいと考えています。

○「判断する場」ではなく「戻ってこられる場」

たくさんの言葉が飛び交うなかで、迷うことがあっても、最終的に自分の選択を決めるのは「どんな場所なら、いまの自分でいられるか」という感覚です。

誰かの言葉ではなく、自分の内側でふっと静まるものを感じられるような場面が必要だと思います。当院の診療が、その入口のひとつとして担えればと思っています。

以上、今回は読み物風になりました。今の情報化過ぎる社会の中で、情報の選別や距離の置き方はより必要になってくるものと思っています。一方でSNS等の仕組みは、この距離を縮めようと仕組みます。考える暇を与えないようにすることによってです。

従って本項で示したことを全体として意識して頂く事により、知らず知らずのうちに巻き込まれている状態を防げればと思います。知らないままに巻き込まれると、大切な家族や仲間をさらに巻き込んでいく恐れをはらんでいることもあります。

 

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川崎沼田クリニック

沼田真一
川崎沼田クリニック 院長
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