28Feb
対人関係にコミットするクリニックとして、回復を願って患者さんをお諫めするときがあります。
対人関係問題を扱うクリニックとして
当院は症状や衝動の収まりの一環として、対人スキルの拡大の寄与に取り組んでいます。その中にはすぐに実践できるものもあれば、練習を重ねて覚えていく類のものもあります。また一般的には難なくできると考えられることでも、当事者にとっては過去のトラウマが再現するのではと怖くなり、二の足を踏んでしまうこともあります。
対人関係のスキルは獲得物のため、「普通」で推し量ることには無理があります。当事者の方の現状を見据え、そのステップアップを目指して支えていきます。
あとから来る罪悪感こそ、対人関係スキルの獲得を阻害する。
このように対人関係スキルは「直す」のではなく「創る」ものです。よって時間の経過とともに成長し、着実に拡がりを見せますが、一方でスキル獲得を阻害する要因も実はあります。それが「罪悪感形成」です。
罪悪感形成には他者からの虐待や暴力など強いられた体験で身についたものもあります。一方実は自ら動いてもたらしてしまう罪悪感もあります。前者よりも後者の罪悪感が、知らず知らずの当事者を侵食して対人関係スキル獲得の阻害因子になります。その一つが、世間に対する自らの虚偽申告です。トラウマを多く持つ方は、このように後々襲ってくる拭い難い罪悪感を、今度は自ら呼び込む行動への衝動に駆られることがあります。
もちろん世間への嘘は時に方便といわれ、防衛手段の一つともいえます。しかし自らを他人と差別化しようとして、当事者に都合よく解釈することは、さらなる罪悪感を招きます。
このとき「私はあの時他の人と違って辛い思いをしたのだから、いまは他の人が受け取れないものをもらってもいいのだ」という自己本位な解釈になっています。いわゆる「取り返し願望」です。確かに人は無謀な体験を受けたら、帳尻合わせのごとく取り返したい気持ちに駆られるでしょう。しかしこのような解釈が多くなることでさらなる軋轢を生んだり、自身をさらに追い込むことにつながります。このように「他者にはそれを許さないが私は許してもらう」といったシナリオは、自身のこころにさらなる罪悪感を招く危険性が伴います。
ここで怒っても、世間に怒らなくなることを願って・・・。
「この要求を通してもらえないのであれば、先生は私があの時に被った屈辱は”タダ損”で済ませろというのですね」と、受け止めて頂けない方もいます。しかしそのシナリオを無理矢理推し進めれば、世間からしっぺ返しを食らう可能性が高いものは、次の罪悪感を招くためお諫めするようにしています。
トラウマサバイバーは「裏切られ体験」が多いため、時に現在の積み重ねがその後につながるという流れを信じにくいところがあるため、代わりに目先の欲求を優先する傾向があります。しかし嘘やごまかしが罪悪感の上塗りを招いてしまいます。
特に「境界性人格障害(BPD)」・「社会恐怖(SAD)・回避性人格障害(NPD)」といった見捨てられ不安や自己肯定感の低下が顕著な場合は、世間から見染められる年齢水準と対人関係スキルとの間に乖離が生じています。そこにさらに自分本位の欲求を貫いたことによる罪悪感の上塗りは、この乖離を促進させてしまいます。
もっともこれらのやりとりによって、Googleに事実とは異なる書き込みをされてしまう場合もあります。しかしメンタルクリニックは社会へのコミットとして、この流れは飲み込むものと思います。当事者に新たな罪悪感がこびりつくようなことは避けなければなりません。そこで目先の無謀な差別化欲求や、他者を貶めるようなプランへの協力を請われた時は、このように理由を交えてご説明しています。
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