17Jun
有事時の心因反応
東日本大震災後数回、東京から現地のアルコール問題の支援に携わっています。沿岸部の気仙沼・南三陸に向かう道路の周囲の木々の下半分は、津波の塩水をかぶって茶色に染まっていることに驚かされました。しかし現地の人々と触れて深刻と感じたのは、やはりこころの反応です。
元々同じ出身の人柄は概ね理解しているつもりでしたが、それでも際立ったのは何を話しても「気が立っている」と感じられることです。
個人の問題に分かれた時に「気が立つ」
災害時にはやはり直後から生じる「悲嘆」が最もわかりやすい反応です。やや揶揄すれば、この悲嘆の様子が大きく報道されるのは、これが「誰も反対できない、周囲が納得しやすい」反応でかつテレビ映りとして申し分ないからでしょう。
しかし悲嘆が生じたその後が私は精神医療の出番だと思います。いわゆる「気が立つ」という反応に取って代わってきた時期です。
この「気が立つ」のは今後を考えているときに生じる反応です。よって悲嘆の時期の「みんな同じだから」という状況から、「さて今後 ” 私は ” どうしていこうか」と個別事情を踏まえなければならなくなったときに生じるこころの反応です。この時期には周囲には相談できない事情を感じるため、孤独感や自己肯定感の低下を招く恐れがあります。
コロナの影響による気疲れ・心疲れ~震災時とのオーバーラップ
さてコロナウイルスの影響も長くなり、「コロナ疲れ」なる言葉も出てきました。私には近頃当時の震災時の住民の方々の反応がオーバーラップするように感じることがあります。
例えば「コロナが怖くて…」と診察で問われます。頭の回転が速ければ、「感染が怖いでしょうね」と話を進めようとするかもしれません。ところがいまは先述でいえば発生初期の「悲嘆」は終わりつつあります。次に来るのは「この先私は…どうなる」に変わるため、家族関係や経済面、あるいはこれに絡めて「私はどのくらい役に立っているのか」と再確認したくなる衝動に駆られることがあります。これらの想いははっきりと終わりが見えないため、自己肯定感が揺らぎ「気が立つ」という状態が生じます。
「気が立つ」状態の波及
さて先の震災時には、今後の不安が優位になってきた頃から、このような「気が立つ」様子が多く見られました。そしてこれは「うつ病」のひとつの概念に入ります。うつ病ときくと気分の落ち込みや意欲の低下、不眠、集中力低下がピンと来るかと存じますが、実はこのような「精神運動性焦燥」もうつ病の診断基準のひとつです。有事後に生じたことが明らかな場合、以前は「心因反応」とも言いました。
しかしこのようなうつ病は、例えば「気が荒い」など元来の性格に災害というトリガーがあって過剰反応しているに過ぎないと解釈され、適切な援助に至らないケースも多いです。
特に災害や有事によって「気が立つ」ことを、大切に扱って頂きたいと思います。突然の社会構造の変遷に伴い、うつ病以外にもDV・児童虐待など「気が立つ」こころの反応に、安易に背を向けないで頂けることを願います。
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