7Sep
心理学用語における「敵意帰属バイアス」は、今回取り上げた煽り運転の例だけではなく、様々なところに応用されるものかと思います。最後の項は一連の項の肝である「帰属」観念、および「敵意」としての変換について示します。
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マズローの「欲求五段階説」
まず「帰属」の説明として、アブハム・マズローの欲求段階説を示します。
これは人間の欲求は下から「生理的欲求(本能)」・「安全欲求(危機回避)」・「帰属欲求(集団欲求)」・「尊厳欲求(個人承認欲求)」・「自己実現欲求(創造欲求)」の五段階のピラミッドように構成され、低層の欲求が満たされると、より高層を求めるようになるというものです。ここで帰属欲求(集団欲求)は三番目の層です。
このように述べると、一見下の層の「安全欲求」と混同しがちです。しかし帰属欲求とは「所属する集団から排除される怖さがない」ことに対する欲求と書き換えられます。この集団から離れる怖さの裏には、個人の人生の決断に由来する離別ではなく、周囲の評価により「あなたが悪いから」排除されることを意味します。(そういえば以前東京都のある選挙で、排除という言葉が選挙結果に大きく影響したということがありました)
この帰属欲求が揺らいでいる場合、マズローによれば次の「尊厳欲求(個人承認欲求)」に影響を与え、個人で動く時の決断力を揺るがします。これがここで述べるバイアスです。つまり「排除されたくない」気持ちが強すぎて、何か生じた時には自分のパーソナリティーに要因があるのではないかが優先され、現段階で不明瞭な外部情報を取り込むことを優先できない状態につながります。このように帰属欲求が大きい段階でとどまっている場合、事実の解釈に対して「こうに決まっている」が多くなりがちです。
帰属欲求と煽り運転
さてこのように排除される怖さが高いと、「自分が悪いのではないか」という考えが優位になります。目の前の出来事に相手や周囲の事情の有無を考慮せず、「自分が悪いと指摘を受けた」と早合点して、例えば気分が沈みます。もちろんこれは過去に「お前が悪い」と理不尽に言われ続けてきたなどの習慣によるもので、実際は当事者の責ではありません。トラウマが前提にあるものとして考えます。
しかし責がない中で「私が悪い」と思う習慣があるので、「合理化」をしなければならなくなります。これは「自分が悪いのではないか」に苛まれ続けると苦しさが増していくため、心的防衛として「私は悪くない」というシナリオを自ら作り始めることを指します。
簡単に「私は悪くない」というストーリーに仕立てるには、「相手が悪い」です。しかし相手が悪い事実はないため、無根拠に責めるようになります。傍から見れば八つ当たりやイチャモン、時にはクレーマーと言われてしまいますが、当事者の心の中ではその帰属欲求を守るために戦っているのです。
さて前半に書いた「煽り運転」の事例を当てはめます。まず自分の車の前方に脇の車が車線変更してきた時、本来は「何か相手には事情があるのではないか」と距離を取って考えることが妥当です。しかし煽り運転に至る当事者は例えば「割り込まれた」と感じ、その割り込みは「あなたが悪いから」と拡大解釈していきます。
虐待やいじめなど本人の「帰属」を脅かされる体験により生じた、「あなたは要らない」といった存在否定の想いが、自分の前に車線変更した車から励起されてしまうのです。従って「あのときのように私をまた排除しようとしているのかはっきりさせたくて」煽り運転になります。
このように、目の前の出来事が生じた理由を、自分のパーソナリティーによるものと考えてしまう傾向を「帰属バイアス」と言います。そして最初に、結果として生じた形の「敵意」という言い回しを付けています。
まとめると、本人の過去のトラウマ体験から、いま生じている事実に対して「帰属」まで脅かされる恐怖を感じ、その恐怖が事実かどうかはっきりさせたい衝動に駆られ、結果として「敵意」とみなして行動する一連の認知バイアスを、「敵意帰属バイアス」といいます。
敵意帰属バイアスの特徴
敵意帰属バイアスに基づく行動は、解決に向かう方向ではないことが特徴です。このわかりやすい例は「謝罪」欲求があります。謝罪を通して「排除される感」を払拭し、同じ立ち位置でいる (帰属) を確認します。謝罪でも済まなければ時に「賠償」という用語で迫りますが、これも実は相手と同じ立ち位置に帰属したい、排除されたくないという切迫した心理かもしれません。
現実社会では時にこのような様子をクレーマーと一括りにされたりしますが、あくまで今回の煽り運転事例のように「目の前の予想外の出来事に著しく反応した個人」においては、当事者は排除や無視を怖がっているのが根底です。(※ちなみに計画性のある脅迫などとは別の心理です)
現場での対処と加害者治療の重要性-敵意帰属バイアスからの解放
ちなみに上述のような個人と組織の揉め事がギャラリーの多い中で生じた場合に、時に一対一で対処、あるいは大きくなるまで対処しない場面があります。穏便をと考えてなるべく通常を装うことで、無関係なギャラリーに配慮している考え方が優先しているのかもしれません。
しかしこのような揉め事は帰属バイアス由来ですから、過去の裏切られ体験が今の出来事と重なって過敏に反応しています。一対一では親からの虐待との重なり、全体が全く相手にしなければ無視やいじめられ体験との被りかもしれません。煽り運転と同様に「はっきりさせたい」思いとして現れるでしょう。
従って個人の当事者が起こす揉め事の場合は、これまで述べたような帰属欲求を裏返した形での「相手にされない・無視される怖さ」を被りを考慮し、一対一あるいは全体無視ではなく、複数人で対処することで当事者の眼に見える対象者を一点に絞らない、当事者が過去と重なりない状況を作り出すことが重要です。
また現実社会では警察などの権威を意識して利用することが、当事者の持つ怖さに伴ったさらなる加害行為を未然に防ぐという意味で妥当と思います。このように心理学的に考えたとき、警察や警備の利用は決して当事者を排除する目的ではなく、過去の影響による誤解を伴った解釈に沿っての理に適わない行為を避けるという意味を持ちます。
ちなみにこの一連の冒頭に記述した加害者治療も、実はこのような心の動きの洞察が主役となります。
最後に
川崎市のメンタルクリニック・心療内科・精神科『川崎沼田クリニック』では、加害者治療も行っております。下記HPよりお問い合わせください。
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