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こころ、こんにちは。ブログ

    川崎沼田クリニック

ギャンブルの今昔-こころの健康を取り返すべく(1)

 
 
 

今回はギャンブルの行動嗜癖の変遷を取り上げます。まずは日本で典型的なパチンコ・パチスロについてです。

日本のギャンブル依存症の構図-パチンコ・パチスロ依存症

行動嗜癖の代表的な一つであるギャンブル依存症ですが、これはゲーム依存やスマホ依存と同様に、通信手段の発展で多岐にわたってある意味身近になりました。

以前は日本でいえば圧倒的にパチンコ・パチスロに対する依存でした。現在よりレートが高かったこともあるでしょうし、ギャンブルに魅了される感情を満たしてくれる対象が他に身近でなかったからでしょう。

ちなみに先に触れておきますが、パチンコ・パチスロの魅力はまずは「平等性」でしょう。一分間に機械で125発出ていくことは変わらず、他のギャンブルと違ってレバレッジをかけられません。時間あたりにかけられるものは皆同一です。

またかつてのパチンコ・パチスロのもう一つの魅力は、周囲との差異が見えるということです。現在は「ドル箱」が席の前後につみあがる光景は機械の関係で少なくなりましたが、これはスタートラインが平等の環境の中で差異をつけていくという魅力を減少させていっていることは否めないでしょう。各々の台の上にはインジケーターがあり、この台はどれほど出ているかなどはわかりますが、目の前にまるでトロフィーそのものがある場合とは、当事者が優越感を認識する程度が異なるでしょう。

ちなみにこの「平等性」の中で、かつ負けている人から大っぴらには攻撃されないというパチンコ屋の環境の中で優越感に浸れる機会を持てることは、まだまだ人間の社会の価値が一義的に扱われた過去の時代は、魅力が大きかったでしょう。

それでも実はパチンコ依存症については、当時は最後には依存を離れる手段がありました。パチンコが出来ない環境があれば済んだのです。確かに当時はあまり現実的には出来ない方がほとんどでしたが、実はパチンコの出来ない国に行ける用事が出来たパチンコ依存症の人は、どれほど悩んでいてもおさまっていました。もちろん、他国で許されているカジノなどにシフトしていくことはありませんでした。

これらのことより、パチンコ依存症というのはあくまで「他の人と比較して優越を欲しがる」ところが魅力だったのだろうと思います。画一的な価値観にある日本人には魅力的に映ったのかもしれません。

海岸を歩く家族の影

パチンコ・パチスロに大切な「ギャラリー」-お金の取返しよりも優越感

ここまではあくまでパチンコ・パチスロ依存症について述べました。パチンコ・パチスロが課題を抱える依存症になるまでに至る魅力としては、上述の理由で「周囲に見えている」「表彰される」ことが必要になります。従ってパチンコ・パチスロ依存症に至るには本人のパチンコ屋だけでなく、ギャラリーが必要になります。従ってこれらはPCやスマホで仮に行われていたとしても、おそらく流行らないだろうと思います。

このように考えていくと見えてくると思いますが、このパチンコ・パチスロ依存症における「ギャラリー」には大切な分類側あります。これは「負けている人」であり、かつ見えるということです。当時はパチンコ屋の新装開店というのがおそらく現代よりも大々的に開かれ、この時は誰でも勝てるように設定やクギを調節していました。従って新装開店でお金を失う機会はあまりありませんでした。

当時パチンコ・パチスロ依存症の方々がチャンスだと思っていけばいいのですが、この勝てるときというのは借金など課題を生じているパチンコ・パチスロ依存症の人にとっては、あまりこのような日は好みではなかったように見受けられます。「人が多い」「誰でも勝てる」という理由が多かったでしょうか。せっかく勝てるときに、わざわざ行かないのです。

「人が多い」は依存症者にとっては「ペースを乱される」、「誰でも勝てる」というのは「差別化されない」に映り、課題を持つ依存症の人にとっては魅力が減ってきてしまっているように感じられるのかもしれません。

これらのことはパチンコ・パチスロ依存症に限ったことではありません。ギャンブル依存症、あるいはもっと広くとらえて行動嗜癖一つとっても、物事への囚われには画一的に出来ない事情が控えています。

(次回ギャンブル依存症の ”取り返し願望 ”に続く)

 

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沼田真一
川崎沼田クリニック 院長
神奈川県川崎市川崎区砂子2-11-20 加瀬ビル133 4F