18Nov

トラウマ当事者に生じがちな「過去まで一気に返してもらいたい」衝動について述べました。トラウマ体験は、当事者本人が気付かないうちに当事者自身が「当然」と思ってしまう無碍な展開を及ぼす可能性があり、社会との間に新たな影響を及ぼすことがあります。
この一連の考え方のポイントと、当事者の心の裏側を述べます。
“レバレッジ (てこ)”により、重みが増してしまう
繰り返しになりますが、トラウマ体験者が陥りやすい心の展開として、「トラウマによる失った体験や影響を “いまの社会から一気に返してもらおう” と考える」ことがあります。しかしこのような「心の問題」は、社会との間に条件を合わせて妥当性を検討することが出来ないため、「取り返してもらう」境界をつかむことが出来ません。
このような時に過去に強制的な支配体験を受けたトラウマの当事者は、「いくらでも返してもらおう」となってしまうことがあります。「無制限の取返し願望」になってしまうのです。
このようにトラウマ体験の当事者は実現不可能なくらいの、大きな “レバレッジ (てこ)” をかけてしまいます。この背景には「過去にあれほどの大きな傷を負ったのだから、何倍にもまして、また永遠に取り返させてもらいたい」と考えたくなってしまいます。
しかも過去の体験は当たり前ながら戻ってきません。よって「それならば」と、今後に大きすぎるデコレーション(着飾り)する衝動に駆られます。その様子は一見、社会との「平等性」や「落としどころ」を自ら避けているようにすら見えます。「私だけは周囲と違って得てもいい。なぜならあの時周囲と違って私だけが傷ついたのだから・・・」という展開です。
「落とし所」と「見境」が見えなくなる影響
これはまだトラウマ体験が癒えていない場合には、「大きな利得を得なければ、いたたまれない気持ちが続く」という強迫観念があるでしょう。決してむさぼっているつもりも、ずるやインチキをしたい気持ちではありません。しかしこのように「取り返したい」気持ちがどうしても優位になることで、傍から見れば「落としどころのない展開」に自ら誘導してしまうことにつながります。
このようにトラウマ体験者の一見自己本位な要望は、実はそのような大きく得るつもりはありません。あくまで防衛なのです。しかし社会との対峙の中で、過去まで納得できるようにストーリーを拡げてしまうのです。この「見境がつかなくなる」のがトラウマの影響ではないでしょうか。

極端な考え方や衝動行為は、伏線を言葉にしていく。
私たち援助者は、物事が滞る時は見方を変える原則があります。逆説的に考えるのです。「一挙に過去まで取り返したい願望」は、トラウマの支配に苦しむ当事者にとっては「あの時の傷を思いだしてしまわないように・・・取り返す」というブレーキや守り神と考えます。
もちろんこのような論理展開は社会では受け入れられず、さらなるトラウマ体験として受けとめてしまう可能性も十分ありますが、拙い中で整合性を取ろうとする心の動きとしてこのようなことが生じてもおかしくありません。
あるいは日々の出来事に「傷ついた、傷ついた」と声高に訴えていることもあるでしょう。一方で思春期以降は、騒ぐことは新たな自責感を生み出すリスクとなるため、鬱憤発散法としてリストカットなどの衝動行為があります。衝動行為は自責感を一時的にでも払拭することをもたらします。
そこでこのような衝動行動は、その意味を言葉に落とすことによって、実は役に立つものに変わります。一方で行動の意味を言語化して管理できていなければ、当事者は釈然感のなさや淋しさを新たに生みだすことにもなりかねません。そして新たな淋しさが生まれれば、さらに回避しようとした結果の「リストカット・ループ」にもなります。
このように一見訝しい考え方や行動には、当事者の微妙なこころが反映されているのです。
トラウマは「取返し」ではなく「昇華」
実はこの取り返しという感覚は、誰かが介入しなければ天井が見つけにくいものかもしれません。「ここまで」という見境がつけにくく「あの時の傷を取り返すまでは…」とこだわり続けることに縛られ、目の前の新たなキャンパスを染めることを拒むようになります。この典型例が慢性回避行為としての社会的なひきこもりでしょう。
トラウマ体験の折り込みは、体験により記憶をアップデートすることになります。そこには過去の解釈が必要になります。「そうに決まっている」という思い込み、先走り、決めつけから、「そうとは限らない」という思いを植え込んでいくことになります。
( ※ 近年はこの「そうに決まっている」に人々の心を持って行こうとさせているのが、SNS産業です。SNSはできれば事実の拡散にとどめてもらいたいと思いますが、実は本当に欲しがっているのは怒りという材料です。怒りにより「感情」を拡散してくれて、閲覧者を増やしたいというビジネスモデルです)
付け加えますが、このアップデートは過去をなかったもの、つまりチャラにする、記憶から飛ばすわけではありません。「いまとあの時は違う」という見境をつけられるようになることが、トラウマからの昇華です。
この流れは一人でやろうとさえしなければ、道筋をつけることに特に難しいことはありません。流れがつかめてきた時には、今度は「あの時私は大変だったね」という言葉を、自分自身にかけられるようになっているでしょう。
この繰り返しで、新たに自己肯定感が積み重なっていきます。