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児童期性的虐待と境界性パーソナリティー障害

  • 2022
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性的虐待の影響 (前置き)

性的虐待と境界性パーソナリティー障害(近年は情緒不安定性人格障害ともいいます)との関連性は、私が20代の時から当時師匠の先生とともに「子どもの虐待防止学会 (当時は研究会) 」などで発表してきました。

当時は都心で診療に従事していたこともあり、特に家族からの性的虐待を被った方が、どのような方向性や文化に煽られがちなのかを、より目の当たりにしたと思います。

それは性的虐待があれほど毛嫌いする体験であったにもかかわらず、以後そのような辛辣な状況が再び生じる可能性がある方向に自ら動く衝動に駆られることです。

つまり被害感情にはより敏感なのに、その状況に対する危機管理は鈍くなっているのです。これは下記に示す合理化という防衛機制による部分が大きいですが、このような心理機制の連続により、以後境界性人格障害の状態をもたらさるを得なくなっています。

境界性人格障害 :「決めつけ」と「正しさへのこだわり」において

児童期性的虐待の影響は、見捨てられる不安に基づく感情不安定、極端な対人関係志向、自傷、怒りの制御の困難などを伴う境界性パーソナリティー障害を招くトラウマ体験の一つです。ちなみに私ども精神科医は (トラウマ専門医に限らず) 境界性パーソナリティー障害を考慮した際は、例え男性でも児童期性的虐待の経験を有する可能性を踏まえます。

さてその極端な考え方とは、被害体験の大きさに由来する物事に対する非現実的な思い込み(決めつけ)と、自己否定感の欠如に対する自己防衛としての「叫び」としての怒りがあります。

この叫びたがる衝動は、過去の出来事との過剰なオーバーラップによるもので、行き過ぎた勘違いですが、こと性的虐待被害体験はそのトラウマの特性から「私は間違っていない」「私が間違っているっていうの?」という感性が特に優位になりがちです。

特に家族間性的虐待では、釈然感のなさの大きさに加え、長期的かつ閉鎖的な環境下におかれるため、被害体験がもたらす理不尽な感覚を「一時的にでも見失ってしまう」ことがあります。この「感じなくする」ことは、当時被害を受けながらも生き続けるためのこころの防衛です。

しかしこの防衛は実は「合理化」 (長期間逃れられない事態にさらされると、性虐待を受ける理由を自ら無理矢理作って納得しようとする)といって、本当は当事者にとって本意ではない論理展開です。後日自分で自分の気持ちを偽ってしまったという思いからその反動が大きく、以後「私は間違っていない」と叫ぶ機会を欲することが多くなります。

このような流れが、その後に出てくる様々な極端な行為や考え方に至る由縁です。当事者は本当は叫ばなくていい生き方を獲得したいと願っています。しかしどうしても過去の性被害体験がリンクし、「あの時といまは違うのだ」という見境を優位に持てないため、過去に使った「叫ぶ」という方法を不本意ながらも優先せざるを得ない状態が、傍から見ていると極端な行為とみなされてしまいます。

このような流れが、境界性人格障害となる大きな要素です。

いじめ 加害者 被害者

最近のSNSでの攻撃衝動「炎上依存」に絡めて

わずか20年前ではありますが、それでも当時はSNSも拙い時代で、自由に叫ぶ文化もツールもありませんでした。当時もmixiはありましたが、「私は間違っていない」と訴えたい “シェアツール” としては弱い媒体であったと思います。

なぜならこの「私は間違ってない」という防衛欲求は、日常の出来事に感化して鋭く立ち上がります。よって素早く押し下げる必要が出てきます。しかし当時のmxiの主体である日記帳は文を連ねること自体に時間を要し、よって激しい気持ちを十分放出できると感じるには無理があったと思います。またその長さゆえに最後まで相手に閲覧してもらえないことも多く、よって承認欲求を満たす見た人の反応をもらえません。

よって、その後も承認欲求を満たすことが大前提である様々なSNSツールは、以後短い文、すぐにわかるようにと画像で、さらにはイメージが膨らませやすく動画で、そして最近は視聴者が待っていられないのでより短い動画でと文化が動きました。もちろん伝わらないと感じる媒体はすたれますが…。

さて、もとより承認欲求の獲得までに「待てない」というのは、性的虐待ではないトラウマによる自己肯定感を搾取された場合でも大いに生じています。そしてそのような視点で見れば、SNSツールの発展自体が、「自己肯定感の欠如を補完しやすい」方向に動くといって良いのかもしれません。コロナ渦でただでさえ接触が減った中で、SNSはリアルと対峙するまで世界観が拡大するかもしれません。

しかしリアルなコミュニティの場合は傍観者としていられるメリットがあります。価値観や前提をアップデートしていくには、舞台に参加まではしなくとも、客席で複数人の動きを盗み見ている場面の影響が大きいです。子供の頃に誰しもが親同士のやり取りをみて感情や思考を覚えていったようにです。

性的虐待は、時を止めます。「あの時のことが払拭されなければ前に進めない」という想いとの駆け引きになることもあります。ここから「自分がいままで感じた通りになるとは限らない」「当時と異なるのだから、あくまで新しい悩みになる確率の方が高い」など、現実的に妥当性がある思考が優位になるように導くのが、このような性的虐待など理不尽な思いに対する手当となります。

 

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沼田真一
川崎沼田クリニック 院長
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