22Apr
こころの治療には、今まで縛られてきたために経験していないことを新たに「試す」ことで拡がりを作っていく過程が少なからずあります。
特に衝動の病である嗜癖問題(依存症)の回復過程では肝要なことです。対人関係や物事の捉え方に拡がりを持つことで、今までなら思わず沸き上がる衝動に対して、新たな取り扱い方が身についてきます。
今回はこころの治療の上で大切なものと妨げになるものを、特に衝動の悩みについて取り上げます。
衝動行為である嗜癖問題(依存症)は、確実な成果の想像が必要
嗜癖問題(依存症)は思春期以前の子どもにはめったに生じないものです。それは癖となる手段を見聞きはしていても、成功体験になるかを想像できないためトライできないからです。概ね10歳未満までは敬意という想像が出来ず、例えば罪悪感という感覚も十分には読み取れません。
裏を返せば、成長につれ「見聞き」・「想像」・「体得」が可能になることで、癖としての手段も身につけていけるということです。
嗜癖(依存症)は、なぜ「やめなければならない」とみなされがちか。
嗜癖行為(依存症)と聞くと、まず「いけないこと」「避けるべきこと」となりがちです。しかしこれも距離を持って考えるべきでしょう。なぜなこれらは行動や考え方の指向にすぎませんから、文化や人生観の影響を考慮します。
例えばタトゥーが挙げられるでしょう。世界の多くでは趣味趣向の一環にすぎないですが、こと日本人では忌み嫌いとして取り扱われます。温泉などでは「子どもに対する悪影響」という錦の御旗や大義名分として明確に示されます。それはあくまでいまの日本では、刺青(入れ墨)から想像されるものが、怖さや凶暴性につながると「大人は思っている」からです。例えばアメリカでは入れ墨は一つの個性で、形は自傷行為となっても日本人ほどの思い入れとは異なります。
この刺青の例は極端かもしれませんが、嗜癖(依存症)のような「衝動の病」を法律や社会性という角度だけではなく、こころという角度で見る必要があるということです。そしてそのように視界を拡げ一歩引いて見つめるには、「どのようないきさつを踏んできたのか」「どのような考え方をその人の中心に据えなければならなかったのか」という、ピンと浮かびがちな視点以外の目を持つことが必要となってきます。
衝動の病は「噴火」ではなく「マグマ」を見つめる。
これまでも述べましたが、こころの治療は「症状」と「衝動」を取り扱っています。例えると火山の「爆発」は症状ですが、症状を吹き出した由縁は、その内部に脈々と有する「マグマ」です。この「マグマ」は怒りや淋しさ、過去のトラウマ、耐えた末の鬱憤、一人では取り扱えなかった人間関係との絡み、あるいはもう取り返しがつかないと感じているトラウマだったりします。
よってこの衝動を中心に取り扱うときには、先述のように経緯や背景を個々の体験に合わせて見据えなければなりません。
「決めつけては、むしろ決めつける側が見えなくなるのです。」
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