3Jun
ひきこもりの変遷(前)に引き続き、後半は深掘りします。
ひきこもる時の大きな願い
そもそもひきこもりとは「自分にはあのようなことはもう起こって欲しくない」と未来への心配をして、その結果少なくともリアルの中で、大衆と持続的な関係は作らないという施策を取っています。
一方で当事者の理想は、「あのようになったらいいのに」と過去に感じた夢が残っていることが多いです。よって動かないというひきこもりは、「あの時からやり直したい」に拘るということになります。
しかしその「やり直さないと許さない」としているのも、ひきこもりの人が親など上の世代の人から「煽られた」経緯によるものではないかと思います。つまり「要らない過去は消すように」という、これこそ現実的に無理なことをやるように、少なくとも周囲の臭いから感じさせられた経緯があるのだろうと思います。
ちなみにこの出来ない呪縛を背負って、その鬱屈した気持ちの昇華や願望をある意味叶える受け手が、年齢を初め「恥の意識」を生み出さずに済む、そしてリセットの効くコミュニケーション・ツールであるSNSなのでしょう。
「 変わらないように」が支配しやすい。
さて、既に構築されている人間関係において、いままでにない新しい動きをして相手や周囲にしてもらおうと試みることは、仕掛ける方としてもイメージしにくいことです。よってイメージしにくいものをやってもらおうとする場面はとても少ないです。
一方、相手や周囲に「変わらずそのままでいるように」と煽ることは、お互いにイメージしやすいものがあります。よって人間関係上の支配とは、「変わらないように」というのが大きな場面を占めているのです。上の立場の人は、この「変わらないこと」に説得力を持たせるために、「〜しないと〇〇になってしまう」と下の立場の人に恐怖を想起させて変わることを拒むように持っていくのです。
この恐怖が、下の立場の人のその後の判断に影響を与えます。ここで神経症と言われる人はこのような煽られた恐怖体験が優位になるため、例えば熟考やその場を保留するという発想が優位ではなくなります。今の拙い情報を恐怖体験とそこに生まれた価値観に結び付け、「きっとこうなるに”決まっている”」と導いてしまいがちになります。
ひきこもりの解釈に戻って : 前提が異なるものを一括りにしない
このような流れで、本来ならばもう少し情報を見渡すべき状況であっても、「やらなかったときの恐怖」が優位となり、その結果情報不足の中でも即断即決へのこだわりが強くなってしまい、拙い判断を出してしまうことにつながります。
特にリアルコミュニティが少なく、他の人同士にやりとりを傍観する機会の少ない人が、よりこの傾向が持続されます。
このようなことから、前半で記した「引きこもりは携帯電話は持たない」に対する解釈が出てきた時には、我々援助職はあくまでその時点での状況ではという発想で汲み取っていく必要があります。つまり、この後どのようになるかはわからない・・・という柔軟な感覚が必要です。携帯電話とひきこもりでいえば、言わずもがな現在までの事実が証明しています。このように、生涯に渡って現在の解釈を続けるのは難しいのです。
このように依存症や衝動の病の治療施策の中には、万人に値する共通項みたいなものが散らばっておりますが、当事者の「前提」に沿って柔軟に当てはめる必要があります。
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