12Dec
今回は我々の報道の捉え方について述べます。
「排除」なるワードが広まった
ちょっと前の衆議院選挙では「排除」がトピックになりました。まさに当時はこの選挙の分岐点となり、ひとつの世論を形成するほどの影響をもたらしたでしょう。その後、当時の総選挙のキーワードに関する調査結果という記事に目が止まりました。
これによると、選挙中に出た様々な言葉に比べ、こと「排除」については世代によって反応に差がみられたと書かれていました。20・30代では「排除」に反応が少ない一方、世代が高くなるにつれて選挙に影響したと考える人の割合が上昇したという結果です。つまり「排除」という言葉だけは、世代間での違いが “みられた” というのです。
なぜ、世代間でこのような違いが生じたのでしょうか。当院HPの院長コラムにも、「人間関係はアレルギー」というフレーズを度々載せていますが、この「排除」に対する反応が、裏付けの一つかなと感じました。つまり ”過去に排除されたと感じる経験” があると、たとえ現在そのような体験が襲っていなくとも、身体が反応するということでしょう。
言葉のバイアスと「トレース」
このようなことは、日常的に当たり前だと感じるかもしれません。しかしこのような「言葉」と「感情」とが妙に近い距離感になってしまうこころのバイアスは日常茶飯事に生じます。これはいわばトラウマ反応の一つともいえるでしょう。
先の選挙でこの単語を発した方から見た排除の対象は、あくまで出馬した候補者であり、有権者ではありません。しかし排除の対象が「トレース」され、ともすれば「排除された人を応援しよう」という気持ちを持った有権者が多くなるという流れになりました。世代が高いほど「排除された」と感じる体験が多くなる傾向を考慮すれば、「過去を思い出したくない」という思いがトレースされたことが、先の選挙の結果ともいえるでしょう。
このような選挙報道に限らず、「マスコミから発信される言葉」は、自分の過去と照らし合わせがちです。何も意識せずにいると、自分と世間から流れてくる言葉との間に垣根がつかなくなり見境がつかなくなって場に飲み込まれてしまう可能性があります。
テレビこそ距離を持って…うしろの作り手の思惑を考える
報道する側から見れば、視聴者がこころの奥底に持っていると推測される思いや過去に照らし合わせて、報道の仕方は変えていることになります。上述の「排除」の例も、「これは国民にウケる」と踏んでピックアップした言葉です。過去と現在を照らし合わせてしまうという人の性に気付かないと、些細な言葉でも「トレース」して癇に障るようになり、優先順位を見失った決断をしてしまいます。
ワイドショーなどを見ていても、その番組の虜にするためには、感情を揺さぶって分別をつかなくする方向にもっていく必要があります。そのために番組の構成作家を初めスタッフが、丹念に仕掛けを打っていると言われています。
ちなみに、テレビやラジオはあくまで娯楽として捉え、神経を尖らせすぎず見聞きすることをお勧めしています。番組の後ろには必ず作り手とその思惑があるからです。「ムキにならず力を抜きながら楽な気持ちで見る」を肝に銘じておけば、発信側がどのように視聴者を揺さぶろうとしているかも見極めやすくなります。その結果、上述の「排除」を使った被害者感情の拡大作戦にも、簡単には振り回されなくなるでしょう。
一方で報道する側も、視聴者の他に様々な関係各所とのしがらみの中で発信をしています。よって完全に受け身の気持ちで向き合えば、相手の「見せ方」の術中に容易に引っかかってしまいます。 もちろんそのような流れで抱かれた不快感に、遡及して責任を取ってくれるわけではありません。
この記事へのコメントはありません。