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こころ、こんにちは。ブログ

    川崎沼田クリニック
 
 
 

仕事においても、恋愛においても、家族においても人間関係というのは頻繁に感情を揺さぶります。
人間関係において何一つ悩みがないという方はいないのではないでしょうか?
特にいわゆる「苦手な人」に対してはどのように接して良いのかがわからなくなります。
今回は、著者の人間関係についての考え方である「人間関係は運転である」について深く解説します。

直接要因と背後要因

先日自動車免許の更新で講習を受けた際、「事故には直接要因の他に、背後要因を考える必要がある」という案内がありました。直接要因とは運転ミスや無謀運転を示しますが、その背後にある「ハンドルを握る人間の事情を考える」ことが事故の回避に繋がると述べています。

つまり例えば運転ミスには未熟や疲れ、無謀運転には「急いでいる」などの事情があることに加えて、日頃から感じている「そのくらいみんなやっている」「自分が守っているのだから、周囲にもそのような真似は許さない」など、本人経験に伴う価値観がアクセルの原因となって、事故につながるということなのでしょう。

自動車運転の時になぜこのことが重要かというと、運転中に相手の背景や価値観を判断する材料が見えてこないからです。どのような人生を歩んできたか、どのような価値観を持っているかなどの情報を読みとることができません。よって様々な事情を持つ運転手や歩行者との間で事故を防ぐためには、「自分の都合のいいように考えて運転している人」を慮り、これにただただ腹を立てて感情的になることではなく、「もしかして」を想定していくことになるのです。

ある意味これは周囲に対する譲歩になります。よってその方の日常生活の中で「譲りたくない」という感情が強くなっている背景があるほど、自身の価値観を優先することになります。そして、こと「調和」を必要とする運転という作業の中ではミス、つまり事故の原因へとつながることになるのでしょう。

コミュニティー

人間関係こそ「もしかして」と考える。

運転では、運転医者の個々の事情を全て賄うことは不可能なため、いわゆる「交通法規」を作ってある意味戒めています。しかし人間関係では瞬時な判断が事故につながることはないため、「法規」というものを必要としません。

その代わりに人間関係では時折「常識」「良識」という呼称を用いて正しさを解いたりしてしまいます。しかしこれらの言葉が示す「正しさ」への執着が強くなると、相手や周りに対して「もしかして○○かもしれらない」と俯瞰して見るうえで、足かせになることもあるのではないでしょうか。

これがアメリカなど移民の国であり、また視覚的に異なる人間の集まりであれば、「自分たちと違う背景もあるかもしれないなぁ」と瞬時に考えて遠巻きに見ることが出来るのかもしれません。しかし日本や韓国などアジア圏は「単一民族」であるため、「ふつうは○○なものである」という唯一無二の正しさを求める傾向があるので、多様性を受け入れることが苦手なのかもしれません。これが人間関係に距離をつけて向き合う上での大きな阻害要因になっているような気がします。

加えて日本の場合は、「物事を瞬時に判断することが美徳」と捉える風習がある気がしてなりません。これも価値観を集約してしまう要因になります。
コミュニケーションにおいて、自分の価値観( 運転体験 )を過剰に持ち込まず相手側に譲歩( 道を譲る )することはとても重要といえます。
この「人間関係とは運転である」という考え方は、
仕事・プライベートそちらにおいても、有効だと思っております。
この記事を読んでいただいた読者の方も一度、ぜひ取り入れてみてはいかがでしょうか?

 

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沼田真一
川崎沼田クリニック 院長
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