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    川崎沼田クリニック

正義感という名の嫉妬 : 加害者治療の視点

 
 
いじめられっ子
 

「許せない」と感じる事柄は、実は許されるなら実行したいこと

当院でもSNS炎上に悩む方の来院が年々増えています。最近になって政府の介入が入ってきたことの影響か、例えば様々な記事を掲載するヤフーのコメント(通称ヤフコメ)欄では、評価が二択か三択になり言葉を加えるなど、「賛成」または「反対」の二択を簡単には促さないようになりました。

しかしネットでの評価は極端を欲しがります。その性質は、隠れ蓑を使いながら本音をよりはじき出すというネット上でのやり取りのある意味魅力でもあります。従ってではありますが、上述のヤフコメにおける「真ん中の評価」は人気がありません。

決してその仕組み自体の批判ではありませんが、社会的な政治などの世論調査ではネット経由で集めたものの採用はまだ少ないように思えます。これはその回答者の属性や「質問」に対する「口頭回答」の形式ではないところも、考慮しているのかもしれません。

口頭での質問に対する回答は、その強さが表現として問われます。しかしネット上のやり取りの場合は言い回しや回答の間なども問われません。従って質問に対する本気度も問われないのです。わかっていない人が分かっていないことをただただ反対と声高に唱えても、文面であれば成り立ちますし、それらしき伝わり方は可能なのです。

もちろんいまはだいぶ世間全体が分かるようになってきましたが、実はネット上の炎上などは本人の生活における特に鬱憤が反映されて、質問内容とは関わりのない回答が出回ります。「刺激ある反対」を書き凝るところを求めて探します。

理解できない

「歪んだ正義感」は、被害体験の裏表

ちなみにこのような思いを解釈する言葉として、今日まで「歪んだ正義感」という言い回しが使われてきています。しかし決して歪んでいるという捉え方ではないと考えています。

自分がやりたいことが出来なかった、選ぶことが出来なかった、強制的なやらされたなど「我慢した」経験が大きい中で、もし目の前の人が「我慢しないでうまく行ってしまった」ならば、「私が我慢したことは何だったのか」と、過去に私が耐えてきた我慢の意味がなくなってしまうのではないかという怖さに襲われることになります。

従って、これが「許せない」ということにつながるのでしょう。

例えば世間におけるいわゆるパワハラも、「上からされてきたことを私が我慢した。そして私が上になって下にあの時私が被ったことことと同じことをしただけなのに、なぜ私だけが「パワハラ」と言われなければならないのか」。これが会社におけるパワハラ加害者となりうる、上司側の言い分の大きなところでしょう。

つまり平等性を担保して欲しいというのが、嫉妬の由縁です。よってこのように表面にみえる嫉妬というのは、時は時空を超えて「伝達」していってしまったものといえるでしょう。

従って人間関係の治療では、何人もの人が登場人物として出てきて、初めてその仕組みは見えてきます。私の症状や衝動だけを見つめていっては、程なく治療は暗礁に乗り上げしまいます。特に過去のトラウマが影響している何らかの加害者の治療では、その過去の関係性の掘り下げが大変重要になってきます。

 

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川崎沼田クリニック

沼田真一
川崎沼田クリニック 院長
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