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    川崎沼田クリニック

うつ病と神経症の兆候 ~何気ない変化を捉える~

 
 
コーヒーカップ 2つ
 

今回は前置きが必要なので長文になりますが、ポイントは後半の「うつ病における意外な兆し」です。

病状の成り立ちと流れの重要性

例えばうつ病という診断は、現在はクリアカットに様々な症状の有無のみで分別されますが、以前は病態像の把握、そして予後と治療を占う上で、少なくとも「内因性うつ病」(endogenous depression)と「神経症性うつ病」(neurotic depression / Neurose / ノイローゼ )の二つの診断名では分けていました。ちなみに神経症性うつ病の代表的な状態像の一つとして、現在は既に消えてしまった神経衰弱状態(neuroasthenic state)いう見方もありました。

その違いを臨床的な場面で大きく言えば、内因性うつ病は物事の起こりが「自分由来」、神経症性うつ病は「周囲由来」と捉えています。よって内因性うつ病は変わらなければならない対象は「自分」と述べて自責感に駆られる一方、神経症性うつ病はその対象は「社会」や「他人」と連想するため、表現は批判や非難となりがちです。

現在はこの二つを公式では分けることはなくなり、「従来診断」として我々年配の医師の間だけで通用するに過ぎないものになっています。これは病気の「起こり」という縦の時間軸を重視する傾向が少なくなってきたのも一因でしょう。

確かに、現在の病態像がどのような影響を受けて出現してきたかは、特に目で見える部分が少ない精神医療の場合は、原因-結果をより特定しきれないからかもしれません。また抗うつ薬の発展により、病態を時間軸などで分析しなくても、現在の症状に処方を「あてがう」ことが出来れば、目先の治療は成り立ってしまうところが以前より多くなってきたからかもしれません。しかしこのような病態解析学や精神病理学といわれる、物事の起こりを縦の流れで把握していくことは必要と考えています。

このような要素の中には、生活史を踏まえて、影響を与えてきた人物像と関係性も含まれることになります。

「内因性うつ病」をみつける

この「縦の流れ」を踏まえたうえで、今回はあえて「内因性うつ病」という言い回しを用いて、本人の生活における発症の兆しを察知した例を述べていきます。

まずうつ病の病態像には、意欲低下、鬱々とした気分、食欲低下、興味がわかない、睡眠障害(不眠・過眠)など、うつ病という言葉からイメージしやすいいわゆる「動かない」系の症状がありますが、一方で不安・焦り、自殺念慮など、正常より「余計に動く」症状があります。

ここで「内因性」のうつ病の前提には、「このような病態像を自ら先には認識できていない」ということがあります。これを病識や病感の欠如と表現します。従ってうつ病の場合は、「自分では大丈夫」「まだまだいける」「私がもっと頑張りさえすれば」など、解決への焦点が「私の言動」に感じているのが典型例です。従って診察も、周囲から諭される形で訪れることも多いものです。ここで自ら感づくことが出来れば、早期治療につながるでしょう。

海岸を歩く家族の影

内因性うつ病を早期に見つける鍵は「補完行為」(対処療法)

このような内因性うつ病でも、実は生活のわずかな変化や本人の感想から病気の兆しを察知する視点があります。

内因性うつ病は上述のように、「自分では変わっていない」「大丈夫」と思い込んでいる視点と期間がありますが、詳しくみるとこの早期の期間に、何らかの本人の都合の悪い状態を補っている「補完行為」と、その達成感を述べていることがあります。

例として「毎朝胃の具合が悪くなるけど、胃薬を飲んだら収まります」という言いまわしです。これまで述べたように内因性うつ病は「自分で解決法を図ろう」としますから、不都合を自分で緩和しようと試み、かつうまく行った方法を伝えることがあります。つまりここでは胃薬で収まっているため、ある程度本人としては補っており、生活全体における優先度が下がっていきます。

しかし内因性うつ病には、器質的に原因がない身体的な不具合としてみられることが多くあります。これをうつ病における「身体症状」と言いますが、このような胃部不快感を含む様々な内臓の痛み感や、マッサージしてもいつまでも筋肉が固いままの筋肉痛などがあります。

ここでは確かに胃薬に胃酸過多などを抑える効果がみられているとは言えますが、なぜその胃酸過多を生じているかといえば、目に見える器質的な胃の病態ではなく、うつ病から来ていることがあります。

もう一つは、「シャワーを浴びているときだけは、アイデアが出てくる」という例です。このように心地よさを連想される場面でいつもより都合が良くなる状態を、こと生活習慣として聞かされれば、そのままなるほどと納得してしまうかもしれません。しかしこのような言い回しをされたときに、「それ以外の時間は頭が回っていない可能性」と逆説的にとらえていくことが、臨床的には大切になります。

この例ですと実はシャワーの時だけ正常の思考水準に戻るだけで、他の時間は頭の回転が十分働いていないという視点からうつ病と捉えた例ですが、本人の話はシャワーの時だけの心地よさがピックアップされています。このように本人にとって都合のいい場面の語りから、実は病状の出現を占うことが多くあります。

一般的に疾患とは具合の悪い所を訊き、そこに注目していくという流れが通常かと思います。しかしこと精神医療では「状態の良い例外」という視点から把握することがあります。新たに出てきた補完行為で賄えているときには、本人が恒常的な病態像に気付かないことがあります。従ってこのように「例外的に良くなる習慣」が生じている場合は、気づいているかどうかは別として「不本意ながらもバランスを取っている状態」という見方をします。

理解できない

神経症圏の場合は「毛嫌い」がポイント

一方、本人がその行為によって優位になることに最初から理解していながら補完行為をしているという場合は、最初に示した周囲への批判や非難を有している神経症性うつ病、SNS等での他者攻撃や各種の依存症などにおける衝動性亢進状態が考えられます。

この場合は本人のこれまでの経験に伴って生まれている「毛嫌い」に対して、「見ないように」補完行為をしているので、本人は避けたい内容に注目が出来ています。

しかしこれも毛嫌いにまともに向き合うことによって、本人が考える最悪の状態になるのを回避するための行動です。もちろん他の人にとっては「なぜ最悪になるのか」理解できないことがあります。そこには本人なりの道しるべがあります。従ってこの場合は本人が考える筋道・捉え方を、それこそ本人の「縦の流れ」を見つめながら把握していくこととなります。

これは「身の回りの物事そのものには意味は発生しておらず、その捉え方によって変化する」という前提にあることによります。

ちなみに、このように「事実と捉え方を意識的に分離して考える」という技術は、近年ではアンガーマネジメント ( 怒りをどのようにして抑えていくか ) という中でも体系づけられています。

 

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沼田真一
川崎沼田クリニック 院長
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