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    川崎沼田クリニック

摂食障害 : 「やめること」を目標とできない依存症

これまでも何度か述べている摂食障害ですが、断酒・断薬など完全に止めることができないただ一つの依存症という側面があります。

子どもからの問題行動 : ひきこもりや摂食障害

従来依存症と言われるものより、より根本が深い嗜癖行為として「社会恐怖(ひきこもり)」と「摂食障害」を取り上げます。今回の視点はこれらの嗜癖は「若年期から起こる」「思い込みが強い」が挙げられます。

ただでさえ手数が少ない子ども時代に出来る技として用いるのですから、いわばこれらは自らの悩みに正直に向き合っている行為と言えなくもありません。

 大人の嗜癖問題(依存症)は、当事者の不本意が滲み出る。

ちなみに大人になってから生じるアルコールや薬物問題などは、「本当はやりたくないのにやっている」ことが、ある意味傍目からもわかると思います。既にある程度の選択権がある大人の行為は、子供のように「こうでなくてはならない」と制される縛りがありません。そして時には「あなたの寂しさわかる」という人が現れ、「共依存」なる密着関係が生じることもあります。

いずれにしても大人の依存症は、このように「当事者が無理している、ムキになっている」という側面が滲み出るものでした。別の言い方をすれば、「寂しさ」が目に見える出来事を依存症に含めていったという言い方もできるかもしれません

摂食障害の強迫性

一方、このような観点からやや離れるのが摂食障害(EatingDisorder/ED)です。

摂食障害の一部には過食性障害という範疇もありますが、多くは神経性大食症(Bulimia Nervosa / BN)および神経性無食欲症(Anorexia Nervosa / AN ) です。この二つは少なくとも目先は「痩せる (または) 痩せ続けているという目標をもって」行為を続けています。吐く(自己誘発性嘔吐)という代償行為からも「痩せていたい」という思いは一途なのです。

ここにあるのは確かに「強迫性」ではありますが、「やせれば自分にとって幸せなことが起こる」という当事者たちの言い分に、現代人は完全にNOといえるでしょうか。つまりEDの当事者達は、世間の価値観にある意味忠実に向き合い「将来が良くなることを目指して」摂食障害をしています。実に真剣に向き合って生きています。

ちなみに「いまの気分不安定から抜け出すために食べ吐きを使う」という解釈がありますが、私は少々これには無理があると思っています。なぜなら摂食障害とは、その衝動行為自体には確かにインターバルがありますが、四六時中食べ物が頭から離れられないでいます。従って不安からの解放が主な目的であれば、わざわざ体力や時間を使い、さらに「やってしまった自分に負い目を感じる」という自責感に駆られながら、このようなある意味込み入った技を使い続けなくてもよいからです。

このように嗜癖行為には実は優先事象が伴います。最も優先されるものはその人にとっての「確実性」です。そして確実性が高いならば、次に優先される軸は「早さ」です。これが嗜癖行為が強迫性を帯びると言われる理由です。

憂鬱 少女

「やめること」を目標にできないのだから、却ってわかりやすい

摂食障害に至る伏線は「自信を失った」という思い込みです。そしてその思い込みが「痩せたら自信を取り戻せるのではないか」という目標に転換しています。よって「その目標や方向性が間違っている」ではなく、「なぜ自信を失ってしまったか」を見つめることになります。

そしてその背景には、「周囲に合わせすぎている間に、自分が見えなくなってしまった」という人間関係上の流れが多いようです。従って摂食障害こそ、それまでに流れてきた関係性や影響を無視できなくなります。逆に言えば、これらが紐解けてきさえすれば、大人の嗜癖行為に比べて容易に取り扱いは可能になるでしょう。

そもそも摂食障害は「完全に止める事を目標とできないただ一つの嗜癖行為」です。従って「やめることを目標にしない」と最初から決まっているので、食べ吐きなど行為の視点を最初からスキップしていけるとも言えます。食べ吐きの様子を事細かく見てしまうと、本筋への掘り下げが遅れてしまったり、あるいはたどり着かなかったりしてしまうのです。

もちろん摂食障害に限ることではありませんが、その行為の視点に着目せず、その背景にある価値観や人間関係の影響に目を向ければ、嗜癖行為や依存症の源は自ずと見えてくるのです。

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沼田真一
川崎沼田クリニック 院長
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