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こころ、こんにちは。ブログ

    川崎沼田クリニック

こころの治療に「ウケ」は要らない

 
 
芝生の上 本
 

ことばの独り歩き

こころの分野はどうしても広くなることもあり、いまも昔も様々な一般本の題材となります。よって流行語というのも出てきます。特に人間関係に関するワードは多くみられます。時々ワードのインパクト重視になり、その意味の嚙み砕きがないままで流され、本来の意味から飛躍して捉えられ、時に訂正することもあります。

例えば「過干渉」という言葉は、概ね90年代に使われました。特に若年女性の「摂食障害」の治療を掘り下げる中で、母娘関係を指摘する用語として取り上げられてきました。「母が娘に対して過干渉だから、娘は食べ吐きするようになった」という流れなどに用いられます。

さらに概略的な用語として流行したのは、AC (アダルトチルドレン) でしょうか。最近「毒親」という言葉も流行です。しかしあまりセンセーショナルになると、本筋から逸脱して使われてしまうこともあります。

対人関係は二者関係だけでは起こらないという前提

なぜ本筋から逸脱してしまうと芳しくないのでしょうか。それは言葉がセンセーショナルになるには、必ず「悪者」を必要とせざるを得ないからです。例えば本を売り出そうとするとき、買い手となるのはある程度当事者にあてはまると考えている人です。よってすがるような思いに駆られがちになっている人を一瞬で味方に付けるような展開をはかろうとしたら、加害者という「悪者」を作りだして当事者が被害者という展開にすれば、一見魅力的に映ります。

しかし人間関係は、「毒親」にしてもその該当する親子関係だけでは起こりません。「被害者が加害者を作る」「価値観は伝承する」という立ち位置に沿えば、人間関係は三世代あるいは三人以上を見つめることがとても重要です。しかしわかっているにもかかわらず、いざ媒体で世間に示すときは、どうしても二者関係にクローズアップされがちです。「母親を加害者にしなければ、買い手の当事者である子ども側が振りまかない」という思いからかもしれません。

このようになってくると、やはりもはや商売に舵を切っているといわざるを得ません。実際は人間関係を外からみていくときに必要なのは、もっともっと緻密な作業です。

母親 カメラ

人間関係問題は連鎖している。

人間関係上のぎくしゃくを表す言葉として、例えば「いじめ」・「過干渉」・「ハラスメント」などがありますが、これらはいずれも少なくとも世代間連鎖に基づくという視点は無視できません。つまり加害者となっている人が、「自分が被害者になった」または「加害者と被害者の場面を第三者として目撃した」ことが繰り返されたという経験が必要です。なぜなら、上記のどちらかのシチュエーションを経験しなければ、立場が変わって加害者になれるほどの技に発展しないのです。

「いじめ」でも「過干渉」でも「ハラスメント」でも、そのやり方が成功しなければ社会全体が使う言葉には発展しません。つまりこれらは成功体験のつながりの中で構築された賜物という見方もできるのです。

しかしこれらの言葉が示す状態が、人間関係上の手数の多さではなく、実は少なさからもたらされているということが重要です。つまり加害者の人間関係の紡ぎ方が、拙いということなのです。人間関係の幅とは、料理のレパートリーを増やすことや、車の運転が上達する流れに似ています。逆に言えば、「腕のなさが極端な行動を生む」のです。そしてその拙さは単純に「教わる機会に恵まれなかった」という被害者の視点から考えていきます。

「なぜこの人は、たおやかな人付き合いを教わる機会を逸してきたのだろう・・・」。人間関係の解きほぐしは、とても地味なモノなのです。

 

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沼田真一
川崎沼田クリニック 院長
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