11Oct
PTSDとは歴史と成立
PTSD (Post Traumatic Stress Disorder / 心的外傷後ストレス障害)という疾患名は、お聞きになったことがある方も多いと思います。俗に「メンタルを病む」という言い回しを世間ではしますが、ことこのPTSDがそれまでの疾患から分けられた点を、その歴史からさかのぼって説明します。
最初に注目されたのは、1955年から続いたベトナム戦争の帰還兵に生じた一連の心因症状に遡ります。約20年続いたベトナム戦争で、多くの辛辣な場面を現地で体験し戻ってきた兵士達が、戦争終結から長い時間がたった帰国後の日常生活において、当時の感情や場面がふと蘇り、あわせてトラウマ・恐怖感に苛まれる状態が生じました。統合失調症など精神病性障害などとは異なり理解不能な厳格妄想もなく、病識(私は病気であるという認識) や思考のまとまりも保持され、本人自身もその違和感を認識できていますが、まるで当時の様子にとらわれているような様々な感覚に恐れ慄く状態です。
PTSDの症状概要
PTSD 症状は大きく分けて、「侵入回想」、「回避・麻痺」、 そして「覚醒更新症状」の三つが揃っている状態像を指します。厳密な診断基準にはなりますが、このうち二つまでが揃っている場合はPTSDとまでは呼ばず、その背景に絡めて不安障害・トラウマ、あるいは不安障害の分類の一つである重度ストレス障害などにあてはめられます。
なおPTSDと同じ症状を示すものに、「急性ストレス障害 / Acute Stress Disorder」という病名もあります。PTSDとの違いは、上述の三つの症状が一か月以上継続する場合には急性ストレス障害からPTSDと診断が移行していきます。
「侵入回想」・「回避・麻痺」・「覚醒更新症状」の詳細
「侵入回想」とは、先述のベトナム戦争帰還兵の例で述べれば、症状を呈するような直接的な契機・トラウマが現在目の前に生じていないのにもかかわらず、ふと当時の戦争で体験したような感覚が蘇る状態です。厳密ですが「テレビなどをみていて戦争の場面が出てきたから思い出した」など、誘因が特定される場合には、侵入回想に値するかはまだ議論があります。あくまで「侵入」してくるように、「自分がなるほどと思える出来事が目の前にない」中で、当時のことが思い出されてしまうことが苦痛の要因で、これを「フラッシュバック」と呼びます。この侵入回想に伴い、動悸や過呼吸、身体の震えなど身体症状に発展することもPTSDに特徴的な症状です。
二つ目の「回避・麻痺」は、侵入回想の症状を招きやすい状況を必要以上に回避しようとする様子です。これが顕著になり回避すら難しいと感じると、人間の防衛反応として「その体験や感覚を感じなくする」機能が自動的に発動されるような様子が「麻痺」です。特定の場面のみに防衛反応をかけるような器用なことはできないため、生活全般に適応させざるを得なくなってしまいます。ちなみに私はこれをちょうど建物の「ブレーカー」と例えています。そもそも火事を防ぐためのブレーカーですが、どこが故障あるいはオーバーシュートの原因かを瞬時に判別できないため、火災の危険を感じるとブレーカーにより家中の電気を全て消して万が一の火災を防いでいるようなものです。このように人間には、「最悪の回避」の防衛手段が備わっているように思えます。
三つ目の「覚醒更新症状」は、症状にさらされないように「いつも身構えて緊張している状態」を示します。過去に意図せずにして上述のようなフラッシュバックが生じていると、いつまた同じようなことが襲ってくるかと必要以上に身構えて身体感覚が鋭くなってしまう状態です。音や光に関する過敏さ、身体の緊張やこわばりなど、過去の恐怖体験に伴う過剰な身体反応として捉えられます。
PTSDの伏線と臨床現場
PTSD の症状は常時苛まれていることもありますが、恐怖感とそれに伴う身構えが出たりおさまったりを繰り返す場合も多くあります。そのため本人自身異常を表明しないこともあります。また当時は「戦争に行ったのだからこのようなことが起こるのは仕方がない」と、一つの違和感として本人の中にとどめることもあったようです。PTSD の伏線には、「自分の心が弱いからこのようなことが生じているのではないか」と罪悪感に駆られることも多くあります。いずれにせよPTSD を生じている当事者の捉え方は、概ね自罰的なことが多いです。
PTSD と適応障害との違い
PTSDが不安障害の中で特に分類されているのは、「過去に終了した状況に由来するもの」と因果関係を明示されていることがあります。つまり「当時のことがなかったら、現在の状態は生じない」が明確と判断されます。もちろん他の精神疾患でも実際には発端があることが多いですが、例えばうつ病などでは「誘因となった環境が消えても、同様の症状が残っている」という認識が含まれます。PTSDでは事象関連症状ではあるものの、既にきっかけとなった環境は取り除かれているのに、誘因となった場面が ”思い出されてしまい” 辛辣さを感じるところが特徴です。
一方、「原因となった環境が取り除かれることのみで症状は消えていく」と判断されるものは現在では「適応障害」と呼んでいます。これもストレス反応の一つです。なお病院の治療・診療等によってその原因が取り除かれなければ症状や状態像が続くものを「適応障害(慢性型)」としています。
複雑性PTSDへの発展の契機
PTSDの概念の初期は、「明らかにこの出来事が誘因と断定できる辛辣な事象」が明確であり、またその出来事に伴う様々な症状や反応がみられる症候群となっていました。
しかし1990年半ばに、断定できる一つの出来事が契機と断定できない中でPTSDの症状が出現する状態が発表されましした。これをその後「複雑性PTSD」 と呼ぶことになります。当時複雑性PTSDと呼ぶことに対して議論はありましたが、臨床事象としてとりあげられることは多くなりました。よって前編でのベトナム戦争帰還兵の様子や、殺人事件や交通事故など突発的で不慮な出来事を被ったことに伴うトラウマ、すなわちPTSDは、単純性PTSDとして分けて考え、診断こともありました。ここでは単純性PTSDの呼称を使って示していきます。
複雑性PTSD
まずPTSDとは、その辛辣な体験の期間は一瞬でも長期でも問いませんが、その出来事が既に完了した後に、その時の体験を想起させること(トラウマのようなもの)に伴い症状や状態像を呈することを示します。その中で単純性PTSD とは、出来事が概ね一つの体験に限定されます。
一方で複雑性PTSDとは、その辛辣な体験が虐待やDVなど脈々と被り続けている間に生じてきたPTSDを示します。前編(1)記載のように、臨床症状は「侵入回想」「回避・麻痺」「覚醒更新症状」の三つが揃うことという点では同一です。一方で単純性PTSDとの実際の臨床像の違いは、以下のようなものが挙げられると思います。
「本人がその出来事を辛辣と認識できる余裕がない」
特に虐待体験は幼少期から続いていることが多いため、本人は通常や正常と感じる前に辛辣な体験が始まります。よって異常な事態を生活の一部として既に認識してしまう感覚が生まれます。「ウチのような家庭は普通と思っていた」という感覚・感情は、臨床では特別な感覚ではありません。
「虐待を受けている人に罪悪感が形成されること」
虐待やDVでは、加害者側が正当化を主張しています。加害者になる人が「私の事情でこのようなことをしているのだ」という状況は少なくとも当初にはなく、「あなたが悪いからこのようにするしかないのだ」として結果的に虐待やDVを生じています。まして児童虐待は子供が被害者ですから、その不思議さに気付かず「やられている私が良くない」という認識が先行します。そのため事態が発覚した時に、被害者が加害者をかばうこともよくあると感じます。
「これという一事象として被害者が特定出来にくいため、戸惑いが大きい」
前述のように複雑性PTSD とは、長期間に渡り脈々とした体験によるものです。単純性PTSDのように、「ある時点」あるいは「ある期間」の出来事として本人の中でも限定が出来ない場合が多いため、本人の中でも「ここが要因」としておさめることが、より難しくなっています。人はあらゆる出来事に対して「しょうがない」となる前までは、特に自分に降りかかったものに対してはその原因を特定し、納得や防衛をして次につなげるようとします。しかし長期間においてまるで潜むように被った体験は、「これが原因」「誰が原因」として的が絞れず、わが身に生じていることに納得感を得るのに時間を要します。また上述のように「罪悪感形成」も重なり、「私なんかより」と治療にひるむことも考えられます。
「周囲との対人関係問題への発展や世代連鎖」
(3)で示したように複雑性PTSDの場合は、単純性PTSDに比べて当時者は「わけがわからない」ことが多くあるため、知らず知らずのうちに他者にも波及しています。よって虐待やDVであれば、過去の被害者がその後の加害者に回ることもあります。また組織に発展してのパワーハラスメント、あるいは女性社員同士における「お局」「マウンティング」などのモラルハラスメントに発展することもあります。いずれも「知らないうちに」日常的に被り、解決策を持つ余裕がなく続けば、いつのまにか「自分が嫌だったやり方を知らず知らずに」無意識に他人に行うことにも発展してしまいます。
【複雑性PTSDについて】まとめ
「私はこのようにされてきたのだから、あなたにこのようにするのは当然だ」という主張は、複雑性PTSDと診断された方にはまずありません。むしろ例えば自分が虐待被害体験者と認識している場合、「私が被ってきたようなことを私が他人に振る舞うことは絶対にしない」「自分がトラウマになった出来事は他人に対してしたくない」と強く感じてきた人が多いです。それにもかかわらず、被ってきた体験の印象が強くて他のコミュニケーションが優先的に思い浮かばないために、結果、同じようなことをしてしまっています。よってその感情的な激しい言動や考え方を指摘されて、本人の罪悪感が必要以上に高まってしまう傾向がよくみられます。
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