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こころ、こんにちは。ブログ

    川崎沼田クリニック

大人になってからの虐待の影響

 
 
一方通行 標識
 

今回は、虐待を受けながら育った人の様子についてです。「あれっ、この人は虐待に苦しんできたかな」と思われる時とはを述べていきます。

「よく考えること」に対する経験不足

まずは物事の決め方にあらわれます。虐待に苦しんできた人は「早く」「一人で」物事を決めたがる傾向が出ます。少し古い言葉ですが、例として「折檻」と呼ばれる類の虐待には、親が虐待をしながら同時に子どもに様々な決断を迫っています。従って子どもは親の言うことを素早く、かつそのまま飲み込まないと虐待が終わりません。また長年虐待を受け続けていると、困ったときには相談するというやり方も経験できません。その結果大人になってからも、つい物事を素早く、かつ一人で決断しがちになります。

本来熟考や合議が必要な時にも、いま手元にある情報や過去から想像できるものだけでいまの物事を賄おうとし、新たな情報を求めに行こうとしません。それゆえ拙い決断だったことに自ら後悔したり、あるいは周囲からクレームが起こる事態に繋がったりします。

このように、ふとしたところにも影響が出てくるのが親子虐待です。後悔してもあとから気付けるならば救いはありますが、気付く機会も得られないまま繰り返されてしまうのが虐待の影響です。

虐待は「よく考える」ことを奪ってしまうのです。

「当たり前でしょ!!」で一蹴 : 新しい考え方を自然に放棄する。

世間でも「当たり前じゃない」を口癖に持つ人がいると、虐待を含め過去の辛いエピソードをいまだにひきずっている人ではないかなとピンときます。虐待や親の情緒不安定で悩んできた人は、熟考して考える機会はいけないとみなす傾向にあります。「決断は迅速に」がポリシーで、いつまでも考えている人を見ているだけでイライラしてきます。ちなみにこのような状況で沸きあがってくるイライラは、自分が出来ないことに対する内的な嫉妬でもあるのです。

またこのような人は迅速な割にはいつも同じところに戻ってしまい、考え方に幅が出て来ません。あるいは本人が考えたという時には大変突拍子で飛躍しすぎており、「どうしてそのようなすっ飛んだ考え方になるの?」と言われたりもします。ちょうど真ん中、中庸という流れが見いだせないのです。それは中庸というのは決めていないと本人の中ではみなされてしまうからです。その結果無変化か飛躍化の両極端になります。

そして考え方がいつも同じであると、やがてどうしても無理が出てきます。そこで自分も相手もおさめようとして出てくる言葉、これが「当たり前でしょ」です。そのため時に感情的な人と言われたりもしてしまいますが、このような極端さや決めつけは、実は虐待のような一方的な被害体験の末に生じる価値観の形です。

空

「今を保留する勇気」を持っていくこと

このように虐待の影響が残っている人は、得てして拙速傾向です。それは、その場で決めないと叩かれるなど不利益を及ぼすという子ども時代の考え方の名残です。保留することができず、「唯一無二の正しい考え方」を求めたがる傾向が生じます。その結果ムキになりやすく、また拗ねやすく、周りの意見を許さず、周囲との軋轢やいざこざに繋がっていきます。

虐待の影響をぬぐい、幅広く物事を考えていくには、「そうじゃない考え方もあるかもしれない」と考える習慣付けが必要になります。例えばマインドフルネスの一部にある「いま、ここにを大切に」などは世の中のウケはいいのですが、それはわかりやすいことによる気持ち良さと感じている部分が大きいからでしょう。入口では「いま、ここに」を感じることは必要になるかもしれませんが、やがて次の段階が必要になってきます。なぜならトラウマ体験者にとって感じるままに受け入れてしまうことは、過去の考えや価値観をそのまま受け入れることにつながりかねないからです。

虐待を含めた過去の影響を拭うためには、「いま、ここに感じるもの」に一定の距離を取ることによって、新しい考え方を導くことになります。自分のいまの考え方や周囲の影響に対する感じ方を「保留する勇気」が必要になってきます。

例えば認知行動療法は、おのずと沸き上がってくる感情や価値観に一つ一つ距離を置きながら検討していきます。過去の影響を拭い去っていくという立ち位置からは、一つの大きなメリットとして挙げられるでしょう。

 

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沼田真一
川崎沼田クリニック 院長
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