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    川崎沼田クリニック

「家族の想いを伝えるか」 : 不登校のこども・休職中の夫を持つ家族の悩み

 
 
 

今回は問題を有している人の家族がどのように接するかを考えていきます。

「家族の気持ちを伝えるか」について

 不登校の子どもや長期休職中の夫などの家族から、「本人にどのように伝えたらいいのか」というご質問を良く頂きます。これは教科書的な回答ならば、「そっとしておきましょう」となるでしょう。しかし家族の中で「そっとし続けて変わっていく」のは、なかなか困難です。同じ屋根の下に住む前提である家族という組織には、「言わなくても伝わる」という相互干渉が既に働いているからです。

想いを伝えやすい家族は、「コミュニティを有している」家族

 さて例えば不登校の子どもに対してならば、親の立ち位置によって変わってくると思います。コミュニティが小さくなっている子どもに、同じく対人関係のツールが例えばスマホしか持っていな親が「学校に行って」と伝えても、子供にとっては呑み込めないでしょう。要望する親自身が子どもが想像できるモデルに見えていないからです。よってコミュニティがない場合の選択肢は、「無理しなくてもいいよ」になるでしょう。

 コミュニティがない親であれば、効果が有する文言は限定されてきます。おのずと波風が立たない表現になるでしょう。別の言い方をすれば、「誰がやっても構わない無難な言い方」、つまり「伝える側がどのような立ち位置でも、不測の事態にはならない」表現に絞られることになります。

 しかし、この無難が効いていれば、子どもの不登校は続かないでしょう。

同じ立ち位置の人に言われれば、振り向きやすい。

 一方例えば休職中の夫に対し、何らかのコミュニティに出ている妻が伝えるならば、伝えられる言い回しは拡がってきます。上述のような「無理しなくてもいいよ」は、必ずしも使う必要は出てこないでしょう。この場合、妻が妻自身の意向を伝えた方が実際には動きにつながると考えられます。具体的にはまず「私としては」と ”アイ (I) ・メッセージ” と前提を置いた後で、「ずっといてほしくはないと思っている」と伝える方が、実は家族の波風は立たないことが十分と考えられます。

 このように書くと疑問を呈する方も、中にはいるかもしれません。つまり「働いている妻が休職中の夫に『仕事してほしい』と言ったら、夫はさらに妻に申し訳なさを感じるのではないか」という想定です。確かにその空気感は生じるかもしれませんが、それは一時的なものです。同居家族の場合は消えていく可能性が大きいものと考えられます。

 同居家族における関係維持の指標は、他人との関係のように一瞬の波風を避けるより、「ひきずり」を避けることを優先します。この「ひきずるかどうか」という視点から見ると、働いている妻という立場の人が、「何もいわずにそっとしておく」は、実は風通しの良くない関係性をもたらす可能性があります。

「家族の中に様々な意見が出る中で、各々が腹を括る」というのが、穏やかな家族像です。確かに「ふつう男は、夫は働くものでしょ」など、夫に対して世間の常識を使った迫り方はご法度です。しかし働いているというポジションを持つ妻が、休んでいる夫に「私は働いてほしいと思っている」という ”I think~“ の言い回しは、提案と映ります。「自分の意見を述べる妻」に影響を受けて、「自分で選び行動しようとする」腹を括れるようになる姿が夫にも生まれてくるのが、家族の波動の仕組みです。このあたりが、前提や伏線の少ない「他人」との関係性とは異なります。

家族問題はオーダーメイド : 教科書表現は「波風も立たない」が「動きもしない」

 前述のように家族という組織は、大抵「同じ屋根の下に住む」という意味で、黙っていても干渉される構図になっています。よって要望する側と要望される側との立ち位置の違いを意識することになります。

 要望する側が「私の暮らし向きと同じ方向に、相手に近づいて行って欲しい」という場合は、前述したアイ・メッセージである、” I think ~ ” を使って意見を伝えることを推奨できます。家族は「気を遣わせている」という想いに敏感な空間です。意見のやり取りのない中で、「申し訳ない」という想いを互いに抱かせる可能性がある集合体です。よって、こと働く親が子どもに意見を伏せて「そっとしておく」は、いずれ不登校の子どもが親の本音を「悟る」ことで、「親に対して申し訳ない」と、今度は加害者意識が芽生えてくる可能性があります。

よって、コミュニティに属す母親や妻が、「お母さん (妻) としては、あなたに〇〇してほしいと思っている」という言い回しは、「さらなる加害者意識を抱かせない」につながります。このことは、例えば「ひきこもり」の人に対する介入の指針にも沿うものでしょう。

 一方、要望する側自身が、その要望内容に沿った社会的位置を有していない場合は、先述の教科書的な表現に限定されるかもしれません。

 例えば、ひきこもりに対する介入の場合、「発言者自身が社会に出ているか」が大きく影響されるでしょう。外部コミュニティを持たない母親ほど、「一回伝えることで子どもがハッと気づき、そして明日からスッと学校に行きだすような、これという言い回しはないでしょうか?」と問われます。そこにはもろちん、「母親自身は特に動かない」という条件が含まれますので、「口で何とかならないか」になります。親自身が外に対して動いてしまった方が、子どもが思い込んでいることやひっかかりをほぐし、この先に向けてのロールモデルが子ども自身に映ってきます。

 このように家族が抱える問題への取り組みは、「気持ちに寄り添う」、「相手に共感する」など万人に反対されない綺麗事や教科書的な方法では無理があり、あくまでオーダーメイドです。そして「その家族にとってどのような変化が影響度が高いか」を考慮して実行に移していきます。

 

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沼田真一
川崎沼田クリニック 院長
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