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こころ、こんにちは。ブログ

    川崎沼田クリニック

衝動はあやつり人形

 
   

今回は衝動について示します。衝動は過去の影響や体験が伏線にあり、衝動の「対象」・「質」・「感度」に反映しています。

衝動「行為」は過去体験の反芻

医療といえば内科や整形外科、眼科などもいわゆる身体科は、保健医療の場合は「症状」を取り扱います。対して精神科・心療内科だけは症状のほかに「衝動」を大切な要素として取り扱います。なぜなら衝動は症状に出る、前段階だからと捉えるからです。

衝動には様々なものがあります。気持ちの衝動であればいわゆるイライラに関する様々なもの、一方でリストカットなどの自傷、虐待や暴力暴言、アルコールや薬物などの物質アディクション、乱脈なパートナーの変更あるいは「放っておけない」という思いが募るなどの人間関係上の共依存、ギャンブル・摂食障害・痴漢・窃盗癖・虚言癖などの行動アディクションもあります。あるいはアディクションにならないようにと抑えた結果の「社会的なひきこもり」、そして内面のひきこもりとバランスを取る形でのSNSや口コミ炎上衝動などもあるでしょう。

一方で衝動とは火山のマグマみたいなものですから、上記のような衝動の「出方」は、あくまで当事者の経験によって変わってきます。古い例では、パチンコというギャンブルはそのパチンコが使えなければ続けられませんので、以前はパチンコが出来ない海外に行ったらおさまったというわかりやすい治療もありました。

その原点に立てば、最近多いゲーム依存では、なくても可能だからという理由でゲームをはがしています。スマホ依存の場合は入院中にはスマホをなくし、退院後は現実的ではないとなっていてどれほど使うかを考えるという基準のようです。これは依存症が他の出来事にとって代わることが脳の依存ゆえ難しいという原則ですが、これは裏を返すと「当事者の過去の成功体験」を、当事者がとても信頼している、他のやり方では信頼できない、という極端な意識づけによるものです。

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衝動の「質」や「感度」の蘇り

衝動にはもう一つ、「もたらされ方」に過去体験が重なっています。これは「質」とも言っていいでしょう。例えば「カチンとくる」という衝動は、当事者によって響く要素が異なります。どれにカチンとくるかは各々異なり、地雷とも言ったりもします。これは当事者の過去の体験に基づくものであり、これは母数が大きくなれば文化と呼んだりもしますが、元々は「当然」のカチンというものは存在せず、当事者の事情によるものです。

さらにわかりやすい「怒り」という衝動を取り上げてみれば、そのヒートアップする「感度」もその人の過去の体験によって異なるのは見えやすいでしょう。「どうしてそんなことで怒るの?」には、その人の過去体験が基盤にあります。「二度とあのような目には遭いたくない」という思いに駆られた事情があり、たとえ目の前に起こっているようなことが過去とは状況が異なる場合でも、「あのような目」の部分がオーバーラップすれば、その当事者にとっては怒りになります。

このように怒りに限らず例えば淋しさという事象でも、「誰でもそうだよ」と思えば文化や常識と捉えられてしまいますが、実際には個別事情の集まりです。

過去の体験により感度が高くなっている状態では、いまの小さい事象に対しても敏感に反応します。「なんでそんなところで騒いでいるの?」は普段の生活の中ではよく生じますが、何もない所で怒りが起こっている場合でも、その当事者にとってはアンテナが敏感で防衛としての怒りとして反応しているときがあります。日常では「気に食わない」「毛嫌い」であらわされるような場合は、当事者の過去を扱っていきます。

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(例) パワハラの訴えは被害者事情も考慮

極端な場合は、事実にないことを曲解して騒ぎ出すという場面も見られます。対人関係上の問題、例えば企業内の「パワハラ」など「加害・被害関係」を焦点とする出来事は、特に一歩引いて考える必要があります。

同じ加害被害関係でも、学校内のいじめは、被害者が感度が高くなっているということは考えにくいでしょう。いずれも加害者側の鬱憤の事情に迫ります。また暴走族など対市民をギャラリーとみなした衝動行動は、既に行動の根底に当事者の親子関係が影響していると世間が気付き始めてしまったので、このエンターテインメントは最近は少なくなってきたように思えます。

さて一方でパワハラは被害者側の感度が被害者側の事情で高まったまま、職場を対象として乗り込んできている事象の場合が少なくありません。厚生省ではその内容についてパワハラ六か条という項目自体はありますが、パワハラは加害者事情はもちろん、実は被害者側の事情を見つめる必要があります。

例えば「親と同じようにこの上司まで!!」という被りが発生すれば、訴えてくる感度は高くなります。しかもこの場合、当事者は被害の正当性として訴えてくるため、自分のアラームの感度が高まっていることに気付かないでいることもあります。学校内いじめは被害者が加害者を変えて同じことが生じている可能性は少ないですが、職場という営利集団の中で生じるいわゆるパワハラは、被害者側が相手を変えて訴えている場合も散見されます。「ここでも」と、本人が職場が変わっても生じていると訴えることもあるでしょう。

特に被害体験に重なりを訴える場合は、「被害者側の事情」を見つめていくことになります。私も携わっている企業の精神科産業医は、このような部分を留めておく必要があります。

このように衝動は当事者の過去の人間関係上の体験にもどついて作られます。従って過去の被害体験を慮れば、「当事者がそうしたくてやっているわけでもない」部分もあり、よって「操られて生じている」と捉えています。このように実は衝動に絶対性はないのです。

 

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沼田真一
川崎沼田クリニック 院長
神奈川県川崎市川崎区砂子2-11-20 加瀬ビル133 4F