31May
前回に引き続きで、今度は依存症治療のこれからについてです。
「その気にさせる」戦略へ : 行動経済学の視点
我々は「行き詰まり」から「変化に向けて動く」は全く未経験な流れではありません。なぜなら日々私たちがいかにモノを買ってもらうかを考える視点と同じだからです。巷には「どうやって、この商品を買ってもらおうか」というマーケティング戦略があふれています。
行動経済学という、従来の経済学とは一線を介した「思わずこうやってしまう心理」を研究する学問もあります。既にだいぶ前から、「その気になってもらえなければ、相手は行動しようとしない」という立場からの研究は、様々な形で進んでいます。
しかしこと依存症治療の世界では、まだ従来医学の視点を「正しさ」とする傾向なのか、「言っても訊かないなら待つ」という「底づき体験」という相手に委ねる考え方が、残念ながらまだ存在します。
よって治療の中では、「相手を正す」という方向性になりがちです。例えば「酒を飲んだら、やがて○○になりますよ」というネガティブキャンペーンもその一つです。決して患者さんに上から目線をするつもりはなくとも、言葉の端々に「正す」という癖が出てしまうのかもしれません。
屈服ではなく、いかにしたくなるような気持ちにさせるか。
しかし、人間は「屈服」させては動きません。たとえ動いたとしても、これは「しぶしぶ」です。そしてこの時に味わった「しぶしぶ」感は、その人が過去に屈服した体験と重なり、「また同じようなことをさせられる」とさらに意固地な方向に走らせます。
これではたとえ周囲に屈して一時的にお酒が止まっても、本人の考え方はより窮屈になるだけです。そしてそのようにして作られた意固地は、やがて本人が望みもしない人生や人間関係をさらに生み出していきます。
話を元に戻すと、世の中では「いかにして、それをしたくなる気持ちにさせるか」を様々な分野で練っています。これは今に始まったことではありません。しかし依存症治療の世界では、まだ医療という一つの「ブランド」だけで責めようとしている感が拭いきれません。
人間は相手を「正して」動かすことはできません。なぜなら前提が人によって異なるからです。よってこのやり方が唯一成り立つのは、相手との力の差が歴然であり、かつその関係を意識的に変えるという発想がしにくい「親子関係」です。それでもこの親子関係が循環するのは、子どもが力のない年齢までに限られることです。
親子関係はとても特殊な人間関係です。しかし「家族だから…」とこの特殊な上下関係を、その後夫婦関係など別の前提の人同士の関係に照らし合わせようとした結果、お互いに出口が見えにくいぎくしゃくした流れが生じ、かつ続いていくということになりかねません。
理想論と言われるかもしれませんが、「相手を正しさで屈服させて、自分の想い通りに動いてもらおう」というやり方は、決して相手とむつみあえません。これまで何度か述べている「共依存」・「DV」・「児童虐待」なども、アプローチする側が「私は間違っていない」にこだわることが招いているともいえます。
もちろんそのようなこだわりは、本人の過去の体験に影響しています。つまり「私は間違っていない」と叫ぶ人は、「あなたは間違っている」という言葉に常に触れさせられてきた過去があるということです。
この記事へのコメントはありません。